2023年7月28日(金)18:30より、第4回復興デザイン会議記念講演会を開催しました。
前半はU30復興デザインコンペの解題として、U30復興デザインコンペ審査委員長の内藤廣氏、同じく審査委員の羽藤英二氏による対談を行いました。
対談 コンペ解題:「災間を生きる都市」
対談者 内藤 廣(建築家・東京大学名誉教授/U30復興デザインコンペ審査委員長)
羽藤 英二(都市工学者/U30復興デザインコンペ審査委員)
進行 益子智之(早稲田大学)
羽藤英二 解題
羽藤 それでは私の方から「災間を生きる都市」の解題ということでお話しさせていただければと思っています。
災間のデザインというタイトルは今年2回目になる訳ですが、私は災間(さいげん)と言っていたんですが一年経って災間(さいかん)というのが定着した感じもしますので、災間(さいかん)と読むとお考えいただけたらと思います。
災害と災害の間にある今この時に、どういうデザインを考えるべきか、このコンペでは我々から投げかけたいということですが、災害と災害の間にあるということは、災害の直後の復興計画を考えてくださいということももちろんあるかもしれませんが、もう少し静穏化したというか、災害後の騒乱が一服してきた段階で一体何ができるかということが問いにはあるのではないかと思います。
復興の仕事をやっていると、「もう復興なんて古いよね」みたいなことを言われることもあって、やや憤りつつもそういう風に思われることも仕方がないところもあるのかな、と思う訳です。記憶が薄れいくのに対して、どのようなデザインを我々は社会に対して投げ掛けることができるか、これが一つ重要な視点としてあるのではないかと思います。
私が今いる部屋、東京大学の本郷ですが、その前にちょうど銀杏が見えて広場が広がっております。関東大震災から今年100年で、この工学部一号館もある意味復興の過程の中で立ち上がってきた復興デザインの一つだと思いますが、その前にはこうした銀杏があり、私の部屋からこの銀杏と広場が見えています。ここの窓は非常に大きく、私は普段あんまりエアコンをかけないで研究しているんですけれども、考えてみるとこの建物自体は当然エアコンがない時代の建物ですので、風通しが非常に良い。こうした窓、あるいはあの関東大震災の時に焼き出された人たちのことを考えた時、こういう目の前の大きな空地をいかにして残すかということが考えられていた建物なのではないかと思います。
これは昭和12年の東京大学の地図ですが、やはりこうして見ると大きな空地が大学の中の至るところに作られており、オープンスペースというものが関東大震災を経た復興の中で非常に大事にされてきたことが伺えるように思います。
関東大震災は火災との戦いでした。当時東京大学の建物は煉瓦造りですが屋根は木造ですので、南風が火の粉を大きく巻き上げて上から振りかかり、東京大学も大きく焼けた。やはり水をどう持ってくるかを考えた時、三四郎池という池が東京大学のキャンパスの中にあり、そこからホースを引っ張って医学部の建物を消そうとしたんですが、300m長の距離を水で消そうとしても三四郎池はちょっと低いところにありますので高いところに向けて水を届けることができずに消せなかった。2週ほど前の大河ドラマで、信長が韓非子を読んでいるシーンがあり、ちょうど遠水近火救わずというところが出ていましたけれども、非常にプラグマティックなフレーズです。ようするに、遠い水は近くの火を消せないということです。その反省から東京大学の中には、寺田寅彦が道路を作れと言ってみたりポンプ車に水を注ぐためのポンプ機が置かれたりしました。これも一つの復興デザインだと思いますが、今はもはや使われていない状態です。
災間にある我々が災害の後どのようなデザインをしていくかということに関しては、半減期の長いデザインもあれば短いデザインもある。あるいは一見すると役に立つようなものも、実際には遠ければ役に立たないということもある。こうしたことから、特にランドスケープや建築、あるいは道路のネットワークも含めて、総合的な復興デザインの提案が今求められていると思います。それにしてもこのオープンスペースはやはり非常に美しいですよね。こうした空間はどこの大学にもあるかと思いますけれども、理系と文系、例えば実験の火災とかも起きますので、そういうところを分離するスペースとしても使えますし、あるいは消防車や救急車が入り込むスペースとしても使える。やはり皆さんが普段勉強しているキャンパスにこそ、災間のデザインのヒントが潜んでいるのではないかと思います。例えば、古い煉瓦とコンクリート造を継ぎ足すなど、様々な災間のデザインが東大の中でも見られます。
関東大震災から100年ということで、そこで何か考えようとしている方もおられるかと思います。関東大震災と言えば懐徳園、旧前田家のお家があったところでございます。当時東京大学には門が非常に少ない状態でしたが、留学から帰った前田のお殿様が門を開けて避難民を受け入れました。前田家の御紋は梅なんですけれども、この御紋を見ると天皇家の菊の御紋です。よくよく考えると、前田家と天皇家は姻戚関係にありましたので、天皇陛下が入る門が特別に用意され、残されています。私のふるさとの道後温泉でも、天皇陛下が入られる入り口に別門がございまして、やはりこういう時代だったんだなと。このような門が当時開いたかどうか分かりませんが、少なくとも避難者を受け入れる空間としてこの近世的な空間が近代化の中では役に立ったということです。東京大学としては、ここもキャンパスの用地として使いたかったんですが、その後、懐徳園としてこの空間が残って、災間のデザインとして私の身近な空間に見て取れる。皆さんが敷地を考える際に、その空間の中にある近代的な空間、あるいは近世的な空間の性質を生かしたような視点も持ってもらえたらと思います。
カズオイシグロさんのThe Buried Giant、日本語では「忘れられた巨人」という小説は、記憶を長く持つことができない人たちの物語です。中世ぐらいの時代が描かれていますが、その中では記憶がないということが、社会が霧の中にいるような状態として描かれる訳です。一方で、災間のデザインを考えるとき、過去の災害の記憶を留めようとする力が働く際には、記憶は甘美なものとは限らない。そういうものをどういう風に今の時代の我々が向き合って、災間のデザインとしていくのかということも非常に重要なのではないか。小説の中から、一つモチーフを考えるというようなこともあってもいいのかなと思います。 関東大震災では火災で3.5万人の方が横網町の広場で亡くなられたと言われています。非常に多くの方が焼け出されました。あるいは、東京からの疎開者が当時整備されつつあった鉄道を使って遠距離避難をする、というのも実現した時代です。当然これからについても事前復興という観点に立てば、広域的な計画論・都市論というものが強く求められることになるでしょう。こうした記憶をいかに次の災害、繰り返される災害、 常襲性のある災害に対して、今災間にあるからこそ、考えていくのか。「君たちはどう生きるか」吉野源三郎さんの原作を読むと、やはり人生をいかに生きるべきかと問う時、常にその問いが、社会科学的認識、社会に対する認識、社会とは何かという問題と、切り離すことなく問われなければならぬというメッセージがございます。宮崎駿さんが疎開していたのは宇都宮ですが、そこでも大空襲があり、そういった体験を、あるいはその前の作品では関東大震災を描いていたということは、非常に記憶に残っております。皆さんがこの時代において、何をどう社会的な問題として見立ててこのU30コンペに臨まれるかという点を我々も非常に注視していますし、今までにないような題材、あるいは表現で以て災間のデザインに挑戦していただきたいと願っております。私からはまずは以上です。
内藤廣 解題
内藤 内藤です。実は昨日は陸前高田市の市長だった戸羽太さんが選挙で負けちゃったので、その励ます会に出てたんですね。陸前高田に関しては半ば戦友みたいなもんなので行きました。難しいもんだよね。選挙とか政治とかのことはよくわからない。発災当時東北地方整備局長でそのあと国交省の次官になられた徳山さんが来られていました。陸前高田の復興祈念公園とか三陸の復興に関しては徳山さんが裏にいたので成り立ったことも随分たくさんあったんです。徳山さんとはご無沙汰していたので、ずいぶん話をさせてもらいました。
徳山さんはスピーチの時も思い出話で、当時は東北地方整備局長ですから、戸羽さんに電話を掛けて「何でも言ってください」と言ったらば、戸羽さんがなんて言ったかというと「何でもいいですか」って。「何でもいいです」って言ったら「棺桶を揃えてください」っていう事だったそうです。国交省が、棺桶を用意するって前代未聞だよね。だけど、約束した以上は揃えようっていうんでやったみたいです。やっぱりそのくらいリアルで切羽詰まった話だったんだよね。国土交通省が何があったのかもわからず棺桶をかき集めるみたいな話っていうのは。本当だと飛ばしちゃいけないヘリを飛ばすことを地方整備局長だった徳山さんが決断して超法規的にやった話だとか。そんな直後の話をされていました。
やっぱり実際に大災害が起きてみると、僕らが考えているよりも数段悲惨でリアルな話が起きてきて、我々ある種のショック状態になるわけだよね。そういうショックを受けた状態で、とんでもなく間違った決断をするかもしれない。だからこそ、この災間、平時にいろんなことを考えておかなきゃいけないんだよな、とつくづく昨日は改めて思った次第です。
徳山さんと雑談で、「でもまた来るよね」っていう話を実はしたんです。「首都直下かな」と徳山さんがぽろっと言ってましたけど、首都直下かもしれないし、南海トラフかもしれない。どちらも可能性が非常に高い。さりとて我々がそれに対して何か準備をしてるかって言うと、この10年間復興デザイン研究体だとかいろいろ羽藤さんが汗かいてやっているんだけど、もう一つ思ったところまで届いていないですよね。一体全体この国はどうなるんだろうと思います。僕らはもう年取っちゃったんで直接的にどうこうじゃないけど、でも心配だよね。
例えば、ずっと言っていますが、法律的にどうやって解いていくのだろうという法整備の問題。これだってほとんど手付かずです。三陸の時にあれだけ苦労した、権利の問題や所有の問題だってほとんど議論されないまま今に至っている。これは、土地の問題をどう考えるかっていうのは、非常に大事な問題を孕んでいながら、中々議論しにくいので誰も議論してないということです。法律の学者たちもやってない。どうしてかっていうと、僕が聞いたのは、法律自体が最近たこつぼになっていて、民法、刑法、憲法それぞれのテリトリーでたこつぼ状態で、全体的な法体系に対して議論できるところがない、みたいな話だそうです。そうすると平時は別に問題にならないんだけど、非常事態が生じた時にそういうものが全部あぶりだされちゃうんだよね。法律は縦割り。行政はもっと縦割り。一体全体どうするんだろう。3.11の後にそういうものを再構築しなきゃいけない、となるはずだったのがなってない。全くできていないというのは、再び同じことが起きるということなので、とても心配をしています。
それから、これは毎年のように言っていますが、次の災害の時は3.11と同じ復興の仕方はできない。3.11の時は24兆円を使って、原発も含めたら35兆ぐらいだって言うんですよね。だけど、今の日本の財政でそんなことは不可能で、首都直下の場合は何倍になるか知らないけど、南海トラフの場合は被災規模が10~15倍ですから、無理なんです。そうすると、何か考えなきゃいけないんですよね。だけど、恐るべきことに誰も考えていない。どっかで誰かが考えているんだろう。いや、東京大学の誰かが考えてるだろう、いや、国土交通省の誰かがちゃんと考えてるはずだとかって、僕も思ったことがありますが、僕の聞く限り、国交省だってそんなことに対してしっかりした体制を取ってるわけではない、と僕は理解をしています。この辺、むしろ災間を、僕らはただ漫然と過ごしているという風に言ってもいいのかな。もちろん僕の力不足もあります。僕もできるだけ色んなところで言ったりとか、書いたりしてますけど、なかなかそういう風には動かないです。でもこういう有志の集まりみたいな所では、できるだけ言うようにしています。
ある人が言いました。3.11の復興は、豊かな時代、つまり金があった時代ですね。まだ国に余力があって、金があった時代の豊かな復興。でももし次に起きる時はそんな金はないよ。じゃあどうするの?っていう話が問われているんだと思います。これが災間の大きな問題です。
あと被災地の話で言うと、あの被災地の話は実はまだ物語は終わっていない。この間、野田村の小田祐士村長と会った時に「どう?最近の野田村」と聞きました。野田村の復興は高台移転も含めてまあまあうまくいったと思うんですよね。被災規模もそれほど大きくなかったけども。でも「どうも街に元気がないんだよね」って言うんですよ。やっぱり高齢化の波が襲ってきていて。三陸全体の中では野田村はかなり良い方だと思うけど、それでもやっぱり復興後の問題、つまり彼らにとってはまた別の災間が始まってるという感じがあります。これは大槌も陸前高田もどこも同じだと思うんですよね。「我々は復興のやり方は間違ったかもしれない」って一つの疑いを持って、もう一回復興を眺めてみてもいいのかな。そこに次の復興の仕方の手立てみたいなものがあるかもしれないので、やっぱり三陸を見続けるってことはすごく大事だと思っています。
それから最後に、どういう風にU30の人たちが向き合うのかっていうことを考えた時、ああ、今日は羽藤さんと話をするのに、なんか面白い切り口はないかな、とさっき考えてたんです。これは面白いかもしれないと思ったことが一つあります。私は4月から美術大学の学長になって、それでともかく各学科の先生と話をしたり、議論をしたりしたんですが、その際一番話題になったのがChatGPTの話です。これは、かなり面白い時代が来てると僕は思っています。僕は、ひょっとしたらこれがどう使われるかみたいな話が含ま れてもいいのかなと思っています。具体的に言うと、文章生成AIだけじゃなくてプロダクトはもちろん、ビジュアルも含めてかなりAIがすごいので。で、その実際使われ方も見たりして、これは面白いかもしれないと思った。
3.11の後から次の災害までの災間に生じたイベントとして、一つは経済的な衰退はあるかもしれないし、一つはウクライナのようなカタストロフもあるかもしれないけど、技術的な話で言うと、生成AIの問題が実は大きく浮上したのがこの災間の時期だったという風に捉えることができるはずです。それをどう使って、次に最大に生かせるかっていうのは、大きいテーマとして持ってもいいのかなという気がします。
例えばですけれども、三陸の復興に関しては土地の権利問題ももちろん大変だったけど、住民の人たちの合意形成ツールは何もなかったわけです。住民たちが合意をして、こういう風に自分たちは生きてくんだとか、こういう生活をするんだっていうイメージを語れないまま、既成の制度にはまっていっちゃったっていうところがある訳だけど、もし今来たとしたら、AIを使って、たくさんの人が意見を言って、合意形成みたいなものが出来上がるかもしれない。あるいは、合意したものがビジュアルですぐに出来上がるみたいなことが可能かもしれない。それをべースにどういう風に復興すべきかみたいな合意形成も得やすいんじゃないかと思うんですよ。というわけで、合意形成ツールとしてAIを使おうとしたら、どんな使い方ができるのかっていうのを提案してもらうみたいな話も、僕はあっていいんじゃないかなと思うんですね。そうするとひょっとしたら、次に何かあった時にすごくいいツールを僕らが手にしていて、それを使えば従来の百倍ぐらいの速さで合意形成ができるかもしれない。そうすると、今回はほぼ国主導の復興になっちゃいましたけど、そこの一歩手前で、むしろ住民主導の地域モデルみたいなものをそれぞれ作るみたいな時代が来るかもしれない。なので、これは羽藤さんと議論しても面白いかな、と思いつきました。
対談
益子 ありがとうございました。羽藤先生からは、記憶が薄れていく時に災間をどうデザインするのかという話から始まって、東京大学の具体的な空間の話から敷地の選定まで触れていただきました。内藤先生からは、災害が起きた際に予想だにしなかったリアルな状態というものに我々は陥ってしまう。しかし、法律や予算等の東日本で起きた問題がまだ改善されてない中で、AIという新しい技術的なイベントが、資金がない中での今後の復興を考える際に重要なのではという、問いかけをいただいたと思っております。
では、続きまして、対談に移らせていただければと思います。いかがでしょうか?羽藤先生、内藤先生のお話を聞いて。
羽藤 陸前高田の話は、やっている時から、内藤先生からお前のやることは全部連戦連敗で何一つうまくいってないなっていう中でやっていて。自分でも何だろう、うまくできなかったっていうことをすごい悔いているところはあるんです。もちろん、地元の方の前では、そういうことは言えないわけですけれども。やっぱり災害って今まで準備してきたことが試されて、全然それが災害に対して、自分がやってきた計画ツールだったり、研究成果だったりが全く機能しない。益子君も出ていた先週末の都市計画のシンポジウム(早稲田まちづくりシンポジウム2023 「早稲田都市計画フォーラム30年 それぞれの歩みとまなざし」)みたいなのがあった時も、都立大の饗庭伸さんがやっぱり阪神淡路、それから、東日本大震災で自分が研究してきたまちづくりの研究成果は全然機能しなかったっていうことを言われていて。そうだからこそAIっていう内藤先生の問いっていうのは「確かになあ」という感じがちょっとしました。
具体的に言えば、陸前高田では一人当たり計画面積が阪神淡路の267倍あったんですよね。これは丁寧な合意形成とかデータとか言っても全然できなかったんだけど、AIがあるってことは、アテンションニューラルネットを使うと要するに色んなシナリオ案を生成させることができるわけですよね。ChatGPTには温度の設定があって、0~2まで設定できるんですけど、0
にするとめちゃめちゃ確定的で、2にすると全然文章として成立してないものを作ります。ちょうどいい具合に設定すると、結構創造的な、というかいい具合な案が出てくる。そういうところも含めて、合意形成のやり方っていうんでしょうか、AIはもう皆さん使えるわけですので、それを使ったやり取りそのものを提案の中に入れてもらう。審査員もいろいろいるんで必須とは言わないんだけど、僕と内藤さんは多分おそらく面白がって支持するし、間違いなくもう次の復興でAI使われないわけはないと思うんですよ。そうであれば、それを先取りして、提案をもっとインタラクティブなものにして、東日本大震災でこれができなかった。それを今ならこう解決できるっていう提案を災間のデザインとしてやってもらうのは、僕自身、めちゃめちゃありかなってちょっと思いましたね。
内藤 使わなきゃいけないとか、そんな話ではなくて、そういう提案になってもいいかなという風に思う。ただ、これは半ば倫理規定だけど、使った場合はクレジットを入れてほしい。こういう使い方をしたっていう方法を示してもらう必要はあるかもしれない。
最近うちの事務所の所員たちにやってもらったんだけど、例えば入れ方によっては20年後のハチ公前広場はどうなってますか?みたいな問いにも、30秒ぐらいですぐビジュアルで答えが出るんですよ。それに蓋をするのは、どうも時代としては違うんじゃないか?むしろそれをどうやって使って我々の知的領域を広げられるか。主体性がこっちにあれば、僕はやってもいいと思っています。で、特に災害みたいなものは、われわれの想像を超えるようなところもあるからね。それも含めてAIを使ってみるっていうのも、新しい試みとしてやってもいいんじゃないかなと思いました。
これが大学の課題とかだと、倫理的にどういう部分で使って、オリジナリティがどこでみたいな厳密な審査をしなきゃいけなくなっちゃうけど、とりあえず今回はそうじゃないので。むしろアウトプットに対してみんなで議論が巻き起こることが良い訳だから、ちょっとやってみたらどうかなと思って言いました。場合によってはビジュアルの部分でも良いかもしれないし、あるいは生成AIで法律の話、文章の話でもいいし、あるいはひょっとしたら法律、経済、社会学、そういうものも含めて答えを出していくみたいな複雑なゲームもAIを使ったらできそうな気もする。ただそれが本当に正しいかジャッジするのはなかなか大変だと思うけど、それが正しい答えかどうか。だけど、色んな可能性がせっかく出てきたので、広げてみるっていう意味では良いかな、と。どうしてかというと、世の中が行き詰まり状態で、それだけ僕らの社会が硬直してるんですよ。それをブレイクスルーするためには、新しい技術的な外力、インパクトは役に立つはずなので、少なくとも現行のちょっと息苦しい空気を崩す役割はしてくれるかなっていうぐらいの気持ちではいるんですけど。
羽藤 内藤さんが今も被災地に通われていて、僕自身も福谷さんとか増田さんと一緒に行ってるんですけど、福島浜通りの浪江で復興のお手伝いさせていただいていて、一番悩んでいるのは、当事者性。やっぱり補助金で誰かがやってくれるっていうところと、一方で、その自分たちはそんなにまだ戻ってないわけなので、何ができるんだろう?というところの間で、すごく当事者性が生まれにくいところがあるんですよね。それはひょっとしたら基地問題とかがものすごくある沖縄なんかでも自分たちが何をやってもうまくいかないじゃないかっていう無力感だったり、浜通りでもそういう空気がないわけじゃなかったりして。役所の人だって入ってるお金も多いので仕事はめちゃめちゃ多い、でもやりきれないしみたいなところがあると。そういうところに対してAIが入ってきて、自分が足りてないところを補ってくれる。それによって当事者性が増してくればいいんですけど。デザインは全部AIでやるから、あんまり考えなくてもいいよねみたいな感じになってしまうんじゃなくて、もっと自分が変わっていくストーリーを作っていく、行動していくっていうところを支援するような社会のあり方とか、関わり方。そこにAIが入ってくるような提案がないと復興できないんですよね。膨大な量なので。
内藤 当事者性っていうの問題って確かにあるよね。だけど復興でむしろその当事者性をサポートする。例えばある素人の人がいて、それで被災された人がいたとして、彼は素人なので計画のことなんかわからない。それから未来をどうデザインしていいかもわからない。そんなことは、子供の頃から考えてみたこともないような人たちが、AIを手にすることによって主体性を取り戻せるっていう話もあるかもしれないと僕は思うんだよね。それはAIが行政の便利なツールになるっていうストーリーも悪いストーリーとしてある一方で、むしろ、専門外の人が主体性を取り戻すツールとして考えるっていうこともあるよね。本当は両方が合わさるといいのかもしれないけど、いろんな可能性をそこに見出すっていうのもあるかなと思うんだけど。
うちの所員に教えてもらったのは、もうインフラの設計までAIでできるようになってるので、インフラもそれもその上下水道とか設備インフラまで設計できるんですよね。つまり、見えないところのインフラのお金も出そうと思ったら出ちゃうんですよね。だとすると、いや、そんなにお金がかかるんだったらこういう風にしようとか、そんなにお金がかかるんだったら、もっとコンパクトにしようとか、人口動態がそんなになるんだったら、こういう風にしようとかっていうことが、今までだと大層な専門家を呼んでこないとわからなかったような話が素人でも分かるようになるっていうことは、可能性があるんじゃないかなと思うけど、どうですかね。
羽藤 まちづくりっていう言葉はここに参加しておられる方々、いろんな思いで捉えてると思うんですけれども、現実日本のまちづくりっていうのは、やっぱり金持ちの遊びとまでは言わないけれども、やっぱりみんながヨーロッパで言われてるようなcitizen participation、ああいう形でみんなが参加してやるっていう形にはなってないですよね。そこにはやっぱり日常の暮らしが大変だとか、余裕のなさとか、そういうものもある。一方で最近だけど、現代宗教ってすごく政治に浸透してしまって、ものすごく民主主義を脅かすようなところまで来ている。まちづくりはあんまり浸透しなかったけど、現代宗教はなんで政治に浸透したんだろうなみたいなことは思う訳ですよね。だけど、そういう状況に対して、色んな市民がAIっていうものに色んな使い方をする中で、限られた時間の中で自分の創意工夫を発揮していけるようなまちづくりの新しい形が多分デザインされるべきなんだろうなと思う。それが暗黙に、古くからの社会的な慣習によって限定されたり、自分の自を発揮できないような社会になっているということが、災害時には特にあらわになる。ですので、災間においてこそ、AIだけではないと思いますし、実際の空間の設計を通じて、そういうバリアをなんとか撤廃するような動きを作っていくことも重要だと思います。そうしたことを、思い切った投機的な行為によって出してほしい。
AIがあったり、情報があることで普通はリスク取らなくなるんですよね。ということは、大人の人は考えるスケールが狭いなってすぐ言って、若い人は文句を言う。だけど、これだけ情報が溢れてたら手の打ちようがないわけですよ。先がわかるので。ただ、それは結局どんどん自分の首を絞めてることになってるっていう状況を、AIが更に知らせてくれることはできる。そこのところもう一段新しいAIとのかかわり方、社会のあり方論っていうのを、宮崎駿さんの新作じゃないんだけれども、社会との関係の中で、「どう生きるんだ」という投機的な思いをこのU30デザインコンペにぶつけてほしいな、とすごく思ったりします。
内藤 AIが出てきてどういう感じですか?とかって聞かれることもあるんですよ。その時に何かで「丸裸にされる感じ」って僕答えたんですよね。つまり、内藤廣ってのは色んな皮を被っていて、建築のこともそうだし、都市計画もそうだし。それから建築でも、これまでやってきたこととか、僕が経験的に持っていることとか、いろんな情報が私を今形作っているわけですよね。だけど、そういうものを全部ひっぺがされる感じ。丸裸で一個人として、状況の中に立つような感じ。ともかく素っ裸で世の中に立っているみたいで、それはそれで、かなり心地がいい。そこから先に行かなきゃいけない訳だから。
例えば被災地で何々の専門家みたいな人にたくさん会いましたよね。まちづくりの専門家みたいな人とか、よくわかんない建築家だとか、よくわかんない社会学者だとか、よくわかんない経済学者だとか。でもそういう人の知識って建築家も含めて全部丸裸にしちゃっても、僕はいいのかなと思います。その上で、それこそ羽藤さんが今問い掛けてる「どう生きるのか」みたいな設問がシンプルに立ち上がってくるわけですよ、余分なもの抜きで。その余分なものを排除する役割っていうのをAIはできるんじゃないかなと思っている。なので、そういうツールとして使うんだったら面白いかな。いろいろ全部剥がしていって、最後に残るのは、どう生きるかみたいな話だし、人間としてどうなんだとか、人としてどうなんだとか、生きるって何だろうとか、生命とは何かとか。そんなものに向き合うツールとして、なかなかAIはいいかなという気はしてるんですよね。
羽藤 ものすごく資本の力が強くなっているので、専門家の職能がどんどん回収されていっていて、それはある意味AIによって代替もされる部分があると思うんです。ですがやっぱりそうではない部分、人間がどう生きるのか、私たちの社会はどうあるべきなのか。たまたま今日この後のセッションで、田中先生が復興政策による社会的不平等の拡大抑止とか、中居先生が平常時の利便性と災害リスクとのトレードオフを、研究テーマにされていて、そういうことって本当にどうなんだろうって考えると、人間がやっぱりそれを計画の中でデザインの中でちゃんとしようと思わない限りは対応できないことだと思うんですよね。その価値の表明をやれば、あとは逆に言えばAIがかなりやってくれる部分もあると思う。だから、価値、何がいいと思うのかってことを、自分たちのマニフェストとして、U30のコンペの中で出してもらって、それが私たちが復興するとしたら、あるいは私たちの町の災間のデザインとしては、こういう価値観がいいなって思ってもらえたときに、何か挑戦が始まっていくような気がしています。ただ綺麗に見せるとか、そういうことはもうかなり内藤事務所でも現実に使われていたり、我々も日常的に当たり前に研究のツールとして使っている訳ですけれども、そうじゃないところ、さらにその上の価値の表面っていうのを、今回何かしらの表現で、災間のデザインに込めて出してほしいなって思いますね。
内藤 なんか面白くなりそうじゃないですか。
羽藤 AIを使ってOKのコンペって、はっきりこれだけ言うのも珍しいと思う。審査員が見抜けなかったら、ってちょっと不安感はありますが、今回審査員に若手も加わっていて色んな見方で多様な評価できると思います。まあわかんない。審査員によっては堅めの評価でやっぱり駄目とか言うかもしれないですが、少なくとも僕とか内藤さんとかはやっぱり、そういうものを総動員しないと解けないのが災間のデザインじゃないかっていうことは、はっきりとした問題意識として持っていますから、ぜひそういうこともチャレンジして、そこでチャレンジしたことで自分の手数が増えて、本当に自分のやりたいデザインに近づいてくる。そういう契機として捉えてもらうのもありじゃないかなと思います。
内藤 やってみましょうという感じだよね。多少手詰まり感があるから。このままじゃ成り立っていかないっていうのは誰もがわかっていて、どうするんだって話だよね。
羽藤 年代は関係ないかもしれないですが、やっぱり等身大の当事者意識を持ってリスクも考えると、ちっちゃなプランになりがちなんですよね。どうしてもそれは自らを充足もさせるし、近くにいる人も幸せにするんだけど、「君たちはどう生きるか」っていうのはそこから溢れてしまっている問題の中にしんどい思い、大変な思いをしている人が都市の中、地域の中にはいて、そういうことに空間計画とか空間設計をやってるっていうことが、どういう風に関われるのか。見過ごせるのかってことが、災害時って問われてたじゃないですか。だから、それを一緒に考えてくれる仲間を、僕らはこのコンペで探したいという風に思ってる訳ですよね。首都機能移転しないと、関東大震災とか南海トラフ耐えられないっていうんだったら提案してほしいわけですよ。筑波学園都市なんか使ったのはたかだか二兆円ぐらいですよ。そんなの孫さんだったら出してくれるよ。そんなプランだって思い切って提出してもらっていい訳ですよね。でも先生、それはちょっと大きすぎて、と思うかもしれないけど、よく内藤さんが「君が防潮堤だったら」とか言うんです。もう過ぎたことだからあの場所には立てないけど、でもみんな想像することができるでしょう。首都直下で炎の中にある東京で、多くの方が亡くなるとか、いろんなことが起きて、そういう想像力は、将来を計画したりデザインする皆だから多分感じ取れるわけじゃないですか。そこに向けてやっぱり何かかけて欲しいんだよね。この分野の人にしかできないことがあると思う。ということは、すごく思いますね。
内藤 なかなか深い話になってきたね。こんなんでいいんですかね。
益子 はい。最終的に具体的にどういう計画・設計提案を求めるところまで議論が来ました。人間の主体性をどう再獲得するのか。その際に技術的なイベントをうまく使って、日常が大変な中でなかなか復興デザインに、住民一人一人が関われないことをいかに解いていくのか。それを空間デザインとして、あるいは社会学、経済学と分野を横断したマニフェストとして出していただきたいという、強いメッセージをいただいたかなという風に思っております。
羽藤 多分それぞれこんなかなとか、思ってることはたぶんあると思います。それはそれでいいんじゃないかなと思うんですけど、やっぱりそこを解く時に、去年だったら繕うデザイン(考繕学入門)を提案した方が最優秀になりました。日常の中にある家財道具とか使って、ちょっと座れる空間作ったりとかっていう、復興期においてすごく重要なデザインだなと思って。ものすごくみずみずしいっていうか、等身大だけど、当事者性のある凄くいい提案だった。それは、熊本地震のときの復興で復興設計賞を取った銭湯の提案(2022年復興設計賞:小さくても地域の備えとなる災害支援住宅 「神水公衆浴場」)が、自らの家を開かれた銭湯にするっていう、まさに当事者としてやってるってことを評価しようって、乾さんたちと話してなったんですが、そういうものとすごく重なる感じがしたんですよね。今、陸前高田の問題だったり、浪江の問題だったりみたいなことを僕らはちょっと投げかけました。今年は確かにAIものすごく社会にショックを与えてるから、更にそれをもう一歩二歩踏み込んで、より当事者性を浮かび上がらせるような提案みたいなことが求められている。内藤さんとか僕も遠投系が好きだから、そういうのも歓迎だし。というところで、それぞれなりの工夫でやってもらいたいなとは思いますね。