復興デザイン会議第六回「復興政策賞・復興計画賞・復興設計賞」最終審査委員会(審査委員長:羽藤英二)を実施し、厳正な審査の結果、受賞作品を決定いたしました。
復興政策賞
東京都の事前復興訓練
【受賞者】東京都都市整備局
【審査員コメント】
東京都は阪神・淡路大震災を教訓とし、約30年間継続して事前復興に取り組んでいる。この取り組みはきわめて先進的なものであるとともに、その内容や手順は現在全国各地に水平展開している。なかでも、人材・地域組織の育成という点で本事業の根幹をなす都市復興訓練等各種訓練は、復興計画の策定訓練のみならず、訓練企画能力や家屋被害調査スキルも養成するもので、広域的な視点も考慮されており、計画自体も社会の変化に応じて柔軟な対応を重ねている。とりわけ本事例は、復興時の手順を事前に確認するのみならず、これを都市の強靭化へ繋げようとする工夫がなされており、事前防災と復興を同時追及しようとする思想がその背景にある。このように、本事業は震災復興マニュアルの習熟のみにとどまらない多様な効果が期待され、復興政策賞にふさわしいものと評価される。
【受賞コメント】
この度は、復興政策賞に推薦いただき光栄です。都は、阪神淡路大震災を機に全国に先駆け事前復興の取組を始め、復興訓練など内容の見直しを図りながら進めてきました。今後も訓練の継続的に実施するとともに、都民への普及啓発も積極的に進めていきます。
阪神・淡路大震災の語り部
【受賞者】兵庫県、神戶市、阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター、語り部 KOBE1995、NPO法人 神戶の絆2005、NPO法人 阪神淡路大震災1.17希望の灯り、北淡震災記念公園震災の語りべボランティア、神戶新聞社、サンテレビ 他多数
【審査員コメント】
来年で発災後30年を迎える1995年1月17日の阪神・淡路大震災は、近代都市を直撃した初めての直下型地震である。住宅やインフラの被害は多くの人を過酷な状況に置き、震災関連死を含め多くの人々の命を奪った。阪神・淡路大震災の語り部は被災者個人の経験を生の声として伝える活動を核に継続されており、約30年という長期にわたる活動を通じて、被災者の生活や心の変化を丸ごと受けとめ心の復興に寄り添ってきた。さらに、多様なメディアによるアーカイブ化と発信、震災を経験していない若い世代への積極的な継承、減災の知恵の構築、そしてその後国内で発生した様々な災害における被災者の支援といった多岐にわたる活動は、震災の記憶を被災地内外で重層的に発展させることに大きく貢献してきた。受賞者を代表として、これらの活動を長期的に支える場づくりにかかわったすべての方に敬意を表したい。
【受賞コメント】
震災30年を迎えようとするこの時期に、これまで兵庫県で活動してきた私たちの取組みに光をあててくれたことに感謝します。これからも、震災を風化させないため、世代や地域を超えて震災の経験と教訓を繋ぎ、想定される大災害への備えや防災・減災対策が進むよう活動していきます。ありがとうございました。
能登半島地震後の漁業地域の復旧・復興に向けた取組
【受賞者】水産庁漁港漁場整備部
【審査員コメント】
令和6年能登半島地震では、地域の生業の拠点となる漁港が、地震の揺れと津波による被害に加えて、最大4m程度の地盤隆起による被害を受けた。輪島市、珠洲市を中心に隆起被害が多数確認され、泊地等の利用が困難となる中、水産庁は、各漁港の早期の復旧・復興の実現に向けていち早く、その技術的な方法と手順等を隆起の程度に応じて地域パターン毎にとりまとめたことは特筆に値しよう。なかでも、短期的な生業再開と長期的な機能向上のための本復旧に加え、海業振興など新しい漁業地域の姿に繋げるための復興を明確に位置付けた点は、今後の漁港を中心にした地域復興において発展的な位置づけも期待できよう。困難な状況に直面している漁業従事者の状況を踏まえて、水産庁と専門家が地域に出向き、会議を重ね地元ニーズも踏まえながら議論をとりまとめたことで、狼煙漁港などでにおいて迅速な復旧に向けた測量と設計がスタートしていることを高く評価したい。
【受賞コメント】
この度は栄誉ある賞を賜り、心より感謝申し上げます。今後はこの取組成果を個別地域の復旧・復興計画に活かしていくことが重要です。この賞を励みに、引き続き漁業地域の一刻も早い復旧・復興に向けて、石川県や関係市町等と連携しながら、全力で取り組んでまいります。
原発被災地域(福島県小国地区)における住民によるリスクマネジメント
【受賞者】放射能からきれいな小国を取り戻す会
【審査員コメント】
福島県の小国地区で、福島第一原子力発電所の爆発に伴う放射性物質による汚染に対して、住民が自ら地区の放射線量を測定し、線量を可視化することで被ばくリスクの回避・軽減を目指した取り組み。地区で採れた農産物の食品測定所を開設するなどの下部組織にも発展した。線量計測の空間密度や頻度、メッシュマップによる線量の可視化と全戸配布や掲示による共有方法、それを受けての住民の意思決定など、大学の協力があったとはいえ、住民有志の活動でここまでできることを示した。さらに復興に留まらない視点からは、”上からの”マネジメントに主眼が置かれがちな日本のスマートシティに対して、ICTやセンサー等の技術が普及しアクセスしやすくなることで“草の根の”あるいは“自治的な”スマートシティが可能であることを示す優れた取り組みであると高く評価できる。
【受賞コメント】
被災から10年続けた活動が評価されたことを大変嬉しく思います。地域の放射能汚染状況を捉えるため、住民自ら空間放射線量や食品の線量を測定し、データを共有することで生活を続ける判断材料としました。測定機器の支援や測定指導を頂いた皆様に改めて感謝いたします。
復興計画賞
徳島県美波町における事前復興
【受賞者】美波町
【審査員コメント】
徳島県美波町では、行政課題を解決する機会を捉えながら、基幹病院の高台移転を皮切りに、こども園等の高台移転が進行中である。一方、低地部にも投資を行い、避難施設や避難経路等の整備が進んでいる。特に診療所は、避難ビルの機能に加えて、開放的な公共空間を設け、複合施設として地域交流の拠点となっている。さらには、高台現地ツアーなどの住民参加イベントの開催やサテライトオフィスでの住民交流等、住民が主体になることで防災意識を向上させている。災害に強い空間づくりとひとづくり、賑やかに暮らせるまちづくりが様々な工夫で繋がり、行政の機会を活かしながら着実に進展している。また、有事の際の速やかな復興に向けて、防災公園・広場や後方支援基地の整備、孤立化対策、地元木材を仮設住宅用に迅速に使うための新たな流通の仕組みなどにも積極的に取り組んでいる。事前復興をまちづくりの視点で捉え、具体化している事例として大変優れている。
【受賞コメント】
この度は「復興計画賞」受賞の栄に浴し誠にありがとうございます。本町が住民・行政・関係団体と三位一体で推進してきた事前防災・事前復興の取り組みを高く評価して頂き感謝申し上げます。今後とも災害に強いまちづくりに御指導・御鞭撻をお願いいたします。
復興設計賞
「みんなの家」プロジェクト
【受賞者】HOME-FOR-ALL
【審査員コメント】
東日本大震災において、多くの被災住民が応急仮設住宅団地での長期生活を余儀なくされることから、伊東豊雄を中心とした建築家5名による「帰心の会」が、仮設住宅エリアに住民の交流の場としての建築を提供する「みんなの家」プロジェクトを提唱した。仮設団地に整備される集会所は住宅同様に均質で味気ないものであることから、仙台市宮城野区の第一号が竣工したが、その建設にあたっては、くまもとアートポリスの建材・財政支援を受けるための呼びかけと調整を伊東氏が行った。
その後、応急仮設団地内のみならず、集落の結節点、そして漁場での番屋など、さまざまな場所、用途の「みんなの家」が釜石や気仙沼、陸前高田などの被災地に16棟建設されたが、それはいずれも利用者と建築家による対話によって生まれたものであり、使い勝手だけでなく居心地を重視し、ひとりでもみんなでも使いやすくするための配慮が随所に見られる。これらのほとんどは若い建築家達のボランタリーな設計協力によるものである。また、財源も、熊本県による財政支援だけでなく、補助金や個人、企業からの寄付金によるものであり、企画から資金調達、建設までを総合的にサポートしていこうとする建築活動である。被災自治体が復興事業に追われ、住民へのケアが十分に行われることが難しいタイミングの中で、被災者の生活再建のための公共建築の新しい姿を表したといえるだろう。
本取り組みは東日本大震災後も継続されている。熊本地震や令和2年7月豪雨では、伊東氏がくまもとアートポリスのコミッショナーでもあることから、応急仮設団地内の集会所や、公民館の再建を「みんなの家」として取り組んでいる。木造を生かしたヒューマンスケールの設計で安らぎや居心地を重視したこと、若い建築家による住民との対話による設計プロセスを踏むことを重視しながら130棟以上を建設した。財源も、応急仮設住宅の集会所として復興事業であるものから、補助金を活用したものまである。応急仮設住宅団地の閉鎖後にも、現在(2024年10月時点)で79棟が移築・再利用され、コミュニティ施設や公民館・集会所として機能している。こうした利活用をサポートするためNPO法人「HOME-FOR-ALL」が設立され、継続的な支援が行われている。また、2024年能登半島地震を受けて、能登半島に現在6棟の「みんなの家」を検討中である。
以上のような本取り組みは、復興における小さな公共施設の重要性を提示し、その具体的な企画・設計・建設・竣工後のアフターケアのプロセスを構築したことで、被災者の生活復興の方法論だけでなく、理念と実践の両面で自治体主導の復興事業にも影響を与えた功績がある。今後の復興方針の転換点になりうる運動であることから、「みんなの家」を復興設計賞として表彰する。
【受賞コメント】
頻発する自然災害に対して、これまで建築家はほとんど無力であった。被災者達に対して、何らかの力になり得るのか、という問いからスタートしたのが「みんなの家」である。今回の受賞を契機に、単なる被災者へのサポートを超えて、建築家の使命を再考する機会になればと考える。
松日橋
【受賞者】松日橋受益者組合
【審査員コメント】
岩手県住田町を流れる気仙川に江戸時代以前から架けられていたとされる松日橋は、水害に対する先人たちの知恵と工夫が詰まった木橋といえる。約40mの長さを持つ本橋の橋脚は、又股(ザマザ)と呼ばれる太い木の枝分かれした部分が使われ、乗せられた橋板の重みと又股の絶妙な角度にかかる水圧によって安定し、組み上げられる。また洪水時にはこの橋板が浮き、又股が水流に逆らうことなく倒れることで、橋全体が流されるよう設計されている。一方で上記橋脚等の各部材はワイヤーロープで繋がれており、両岸からは流失しないことから、川が通常時に戻った後回収され、再び架橋に用いられる。左岸側松日地域と右岸側中山地域の住民が協力し、自分たちの生活動線を守る持続可能な復旧作業が伝統的に今なお続けられている。行政や企業からではなく、地域に根ざした住民自らの手によって暮らしと風景を再生させる復興デザインの規範として高く評価したい。
【受賞コメント】
この度は賞を賜り、光栄に存じます 。 この橋は集落と集落を結ぶ生活の大切な里道でした。現在は車用の橋もあるなかで、地域の仲 間と共に流れては架け、流れては架けを続けてきました。機能として必ずしも必要な橋ではあ りませんが、なくなると寂しいですし、大切にしている風景の一つです 。皆で橋を架けること によって地域の絆を保ち、心の拠り所となっています 。ぜひ、観にいらしてください。この度は誠にありがとうございました。 橋の様子はこちらでご確認いただけます 。https://x.com/matsubibashi