復興デザイン会議第五回「復興政策賞・復興計画賞・復興設計賞」最終審査委員会(審査委員長:羽藤英二)を実施し、厳正な審査の結果、受賞作品を決定いたしました。
復興政策賞
津波復興拠点整備事業
【受賞者】国土交通省
【審査員コメント】
津波復興拠点整備事業は、東日本大震災からの復興にあたってまちの拠点の早期整備のために創設された事業で、用地買収による中心市街地の早期復興を可能とした。また、1市町村あたりの地区数と国費支援の面積上限を定めることで集約型の中心拠点形成の実現を導いた。さらに拠点区域の土地の所有と利用の分離も可能としたため、商業施設建設が完了ではなく継続的なエリアマネジメットが重要であることへの理解が深まった。それは、各地でまちづくり会社が立ち上がり、様々なまちづくり活動が生まれる拠点区域となったことにも影響を与えている。事業を活用したのは17市町であるが、女川町、陸前高田市、大船渡市など事業を上手く活用した地域が新たなにぎわいを創出しているのは周知の通りであり、高く評価できる。被災前から人口減少、中心市街地衰退の著しかった沿岸地域であるが、整備された復興拠点から多様な活動が展開していくことを期待したい。
【受賞コメント】
このたびの受賞は、事業を創設した国のみならず、実際に様々な工夫をして地域で運用をされた被災地の地方公共団体、派遣職員、UR、コンサルタント等の方々、そして一緒に取組んでいただいた地域の方々に贈られたものと考えております。ありがとうございました。
被災者生活再建支援法
【審査員コメント】
被災者生活再建支援法は、生活基盤を破壊された被災者の自立的な生活再建を支援する必要性から、阪神・淡路大震災後に議員立法により制定されたもので、甚大な自然災害によって著しい被害をうけた被災世帯に行政が金銭的支援を行う制度です。制度設計のあり方にはいまだいくつかの課題が残っていますが、この制度の対象となった世帯は令和5年現在で30万世帯にもおよび、数多くの被災者の迅速な生活再建が図られました。これは、被災者の生活再建に行政が恒久的に寄り添い、金銭的にサポートするという意味で、また個人資産でありながら地域社会の復興と深く結びついている住宅が、ある種の公共性を有するという立場を明確にしたという点で、行政が被災者に向き合う姿勢を明確にし、そしてその後の防災・復興に大きな影響を与えた政策といえ、阪神・淡路大震災の復興が果たした最大の成果の一つといえる。上記の理由により、被災者生活再建支援法を復興政策賞として表彰します。
復興計画賞
小高パイオニアヴィレッジ
【受賞者】一般社団法人パイオニズム、株式会社小高ワーカーズベース、藤村龍至/株式会社アール・エフ・エー
【審査員コメント】
小高ワーカーズベースは、居住が認められていなかった旧原発事故避難指示区である南相馬小高地区で創業し、コワーキングスペースの開設後、食堂や仮設スーパー、ガラスアクセサリー工房、ローカルベンチャー事業の誘致・支援など、住民ゼロからの事業創出に取り組んでいる。ゲストハウス併設型コワーキングスペース小高パイオニアヴィレッジを地域拠点として若者を対象とする創業支援プログラムを生み出し、現実に複数社の創業を実現している点は特筆に値しよう。生業の再生は復興に欠かせない以上、当事者性を力強く発揮した彼らの取り組みは復興デザインを象徴する素晴らしい活動といっていいだろう。
【受賞コメント】
この度は身に余る賞を頂き、誠にありがとうございます。原発事故被災地だからこそ、自分たちが暮らしたい社会をゼロベースで思い描き、多くの関係者とともにひとつひとつ事業を積み上げてきました。そこが評価されたことを大変うれしく思います。
都立横網町公園
【受賞者】東京都東部公園緑地事務所、公益財団法人東京都慰霊協会
【審査員コメント】
東京都慰霊堂、復興記念館、日本庭園などから構成される横網町公園は関東大震災から100年を迎えてなお、今に巨大災害の記憶を継承するための空間としてさまざまな人々の訪問が絶えない。震災戦災のメモリアルパークとして歴史的な建造物及び記念碑が数多く保存されるとともに、震災の被害を物語る多くの遺品や資料が展示され、大学生やこどもたちの訪問を受け入れ、若者の学び・発信(継承)の場として活用されるなど、今なお震災の記憶をとどめるために続けられてきた重層的な本施設運営の長年にわたる努力とその計画思想を高く評価したい。
【受賞コメント】
東京都東部公園緑地事務所:
本公園は、関東大震災を受けて造成中の公園の計画を変更し、遭難者の霊を長く供養するための公園として、昭和5(1930)年に開園しました。
関東大震災から100年が経過しましたが、これからも慰霊と伝承のメモリアルパークとして、また城東地区の貴重な緑の空間として、その役割を果たしてまいります。
慰霊協会:
これまで、年二回の法要の実施、日々の参拝者の対応、来園者への解説など慰霊と伝承の役割を現場で果たしてきました。一方、関東大震災100年を契機に、映像型展示の導入など史料の今日的活用にも取り組みました。これからも、地域に親しまれる公園と災害伝承施設の機能維持を模索し追求していきたいと思います。
「災害時BRT」を含む広島・呉・東広島都市圏災害時交通マネジメント
【受賞者】国土交通省中国地方整備局
【審査員コメント】
広島~呉間は、通勤通学等の交通需要が極めて多い地域である。2018年7月に発生した西日本豪雨によって、広島呉道路、JR呉線が甚大な被害を受け、復旧までに長時間を要することとなった。さらに早期に復旧した国道31号線を経由して災害時臨時輸送バスの運行が再開されたものの著しい道路混雑のために定時性が保てないなどの問題が生じた。こうした中で、広島呉道路の交通止め区間を活用したバス輸送システム「災害時BRT」の迅速な導入・運行、混雑区間でのバス専用レーンの設置、代替交通に関する情報提供の充実の取り組みがなされた。その結果、定時性や速達性の確保、リアルタイムに運行状況が確認できるなど市民生活の利便性が大きく回復することとなった。豊かな発想や工夫に加え、関係機関の連携と実現に至るまでの迅速さ、これを発端とした検討の継続・強化等、災害時における公共交通の活用策を提示した優れた取り組みは、その後の呉のバスターミナル計画の防災機能の強化につながっており、当該地域のみならず他地域への展開も期待できる点を高く評価した。
【受賞コメント】
このたびの受賞は、広島・呉・東広島都市圏災害時交通マネジメント検討会に参画いただいた有識者(広島大学・呉工業専門学校)の方々、行政機関(中国運輸局等)、交通事業者(バス協会)等の方々、一緒に取り組んでいただいた方々に贈られたものと考えております。ありがとうございました。
復興設計賞
道の駅おながわ(女川駅前シンボル空間/女川町震災復興事業)
【受賞者】小野寺康(小野寺康都市設計事務所)、東利恵(東環境・建築研究所)、松尾剛志(株式会社プラットデザイン)、南雲勝志(ナグモデザイン事務所)、平野勝也(東北大学)、宇野健一(有限会社アトリエU都市・地域空間計画室)、末祐介(株式会社建築技術研究所・中央復建コンサルタンツ株式会社共同企業体)、独立行政法人都市再生機構宮城震災復興支援本部、鹿島・オオバ女川町震災復興事業共同企業体、株式会社建設技術研究所、女川町道の駅運営協議会(女川町・女川町商工会・一般社団法人女川町観光協会・女川みらい創造株式会社)
【審査員コメント】
区画整理を伴う震災復興事業の成功例として、女川町のまちづくりはすでに名高い。女川駅前から海へと延びる歩行者専用道路「レンガみち」は、「海を眺めてくらすまち」のシンボル軸として象徴的な風景を呈している。レンガみち沿道には「シーパルピア女川」や「地元市場ハマテラス」などの商業施設が並び、駅前の幹線道路沿いには公共施設や金融機関が配置されるなど、面的な人の流れが目指されている。2021年3月、上記「シーパルピア女川」等の一帯が道の駅おながわとして登録され、翌月オープンを遂げた。復興とは、その後も長く続く地域の未来に繋がっていくものでなければならない。空間的な質の高さに加え、まちづくりコーディネーター等、外部有識者の継続的な関わり、「女川町復興連絡協議会」に始まる民間主導のまちづくり活動の成果など、その持続的な取り組みを高く評価し、道の駅おながわを復興設計賞として表彰する。
【受賞コメント】
「道の駅おながわ」は、女川駅から海へ続くレンガみちを軸に、震災復興で整備されたシーパルピア女川など4つの施設を中心に、2021年4月に道の駅に登録されたものです。面的に歩く楽しさを持った地域の観光と交流の拠点として公民が連携して経営しています。
三次市市民ホールきりり
【受賞者】AS
【審査員コメント】
「三次市民ホールきりり」は2014年に竣工した、劇場を中心とした芸術文化複合施設である。付近を蛇行する3本の川の氾濫により、昔から多くの水害に見舞われてきた敷地条件に対応するため、本計画は施設全体を5m持ち上げてピロティとし、駐車場や多目的スペースとして利用している。近年頻発している水害に対する、事前復興の先進的な事例となっている。搬入計画がタイトである劇場建築は、ピロティ形式を採用しにくい建築用途であると考えられるが、巧みなプラニング・動線計画によりそれを実現している。空中に持ち上げられたホールの立ち姿は、通常の劇場建築に見られる表裏のある建ち方とは明らかに異質なものとして表現されているため、地域による多目的な利用を受け入れる包容力と、ここが災害時の避難所となることを外観からも発信するデザインとなっている。そのように、この建築が日常と災害という非日常を繋ぎ、市民の災害への備えを想起させるデザインが実現していることを高く評価し、「三次市民ホールきりり」を復興設計賞として表彰する。
【受賞コメント】
私たちは、2011年の東日本大震災で、「災害は来るかもしれない」ではなく、「災害は来るもの」として設計しなくてはならないことを改めて痛感いたしました。先行する計画には主階を5メートル持ち上げるという想定はなく、そのための予算措置もありませんでしたが、水害発生に対応できることを前提として設計をいたしました。
葛尾村復興交流館あぜりあ
【受賞者】葛尾村、一般社団法人 葛尾むらづくり公社、株式会社はりゅうウッドスタジオ、日本大学工学部浦部智義研究室
【審査員コメント】
福島第一原発事故のあと国の指示を待たずに村の決断として全村避難をした葛尾村のコミュニティのための交流館。避難だけでなく、復興まちづくりも自治の精神が重視され、そのシンボルとして「あぜりあ」は建設された。まずは場所選定が秀逸である。かつて赤松の集積と物流拠点であり、村役場にも近く、主要な道路と河川が交わるまとまりのあるエリアが選ばれている。平面は「何にでも使える」ようにゆったりとした幅の空間が蛇行しながら連続したものとなっている。帰還住人が0人、将来が見通せない段階からプロジェクトがスタートしたことがきっかけとなって生まれた平面だが、蛇行による見え隠れや、川と駐車場の両側に所々に設けられた開口部などは空間にメリハリと奥行きを作り出し、結果として日常的に立ち寄れるような寛容な居場所も作り出していた。地域のシンボルであった民家の古材を利用することや、地域産材を積極的に使いながら縦ログ工法で建設することは、一般的な合理性を超えて地域のシンボルとなる空間の質を作り上げていた。なお、運営は原発事故後のむらづくりを推進すべく設立された「葛尾むらづくり公社」が担っており、コミュニティの維持・形成の支援をはじめ、環境維持や地域事業者に対する支援事業だけでなく、近年はあぜりあの「道の駅化」にも取り組もうとしていると聞く。まさに葛尾村の復興とともに成長していく施設である。原子力災害という複雑で困難な災害からの取り組みとして復興建築の新たな可能性を具現化していることから、「葛尾村復興交流館あぜりあ」を復興設計賞として表彰する
【受賞コメント】
新しい建築種別といえる復興交流館づくりは手探りの始動でしたが、村民はじめ村内外の関係者のご協力を得て、復興に資する計画・設計及び運営が具現化しました。今回の受賞もその賜物と存じます。今後も新たなつながりを創出する場を継続してまいります。