復興デザイン会議 「復興デザイン座談会〜第3回復興設計賞〜」

概要:第三回復興設計賞の審査会後に座談会を開催して、審査を通じてどのような議論があったのか振り返りました。

開催日 :2021年11月9日(火)

開催場所:オンライン

参加者:羽藤英二(審査委員長・東京大学)、乾久美子(副審査委員長・乾久美子建築設計事務所)、岡村仁(審査委員・KAP)、千葉学(審査委員・東京大学)、工藤和美(審査委員・シーラカンスK&H)、星野裕司(審査委員・熊本大学)、小野悠(事務局・豊橋技術科学大学)

コーディネート:芝原貴史(事務局・東京大学)

芝原:第三回復興設計賞が決まりました。羽藤審査委員長から過去の設計賞の振り返りをお願いいたします。

羽藤:復興デザイン会議の復興設計賞は、3年前に立ち上がりました。復興の現場というとても普通じゃない状況の中で、エンジニアや設計者、建築家や土木設計者が、設計に関わっています。大変過酷な環境で、現場では思うようにならないことを工夫して実現してしていることもあるわけです。そうした復興デザインならではの設計行為が正しく理解されているのかというのが、この賞を設けた一つのきっかけになっております。被災地で、私自身も復興計画や建築計画を手掛けたり、コンペの準備をバタバタと黒子になってやった経緯と反省も含めて、少しでも復興を支えていくために、みんなで考えていきたい。あるいはその中から立ち上がっている営為を正しく評価し、次の復興に備えていくために、復興設計賞を選んできたという経緯がございます。

過去の受賞につきましては、2019年度が3作品です。一つ目は釜石の唐丹小学校、中学校、児童館です。この設計では、土木の擁壁をどういうふうに建築側が階高とシンクロさせるか、土木と建築を斜面地において結実させるために、復興期の被災地でありながら、丁寧な作り込み、議論、作業がなされています。その結果として、地域の風景に溶け込むような建築ができていました。唐丹の色。私も被災直後に行って、瓦礫になった建築の跡を見ましたが、そのときに、今も印象に残っている色や街の雰囲気があの斜面地に、どこか勇気づけられるような形で再び出来上がったということで、土木と建築を組み合わせた取り組みということも含めて高く評価された建築でありました。

二つ目が、高田松原の高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設です。未曾有の災害の中で、かつては戦災復興における丹下健三先生の、広島の平和記念公園がございましたが、やはり悼むという行為をどう地域の中で継承していくのかは、設計者にとっても地域にとっても重要な仕事になります。津波の記憶をいかに継承していくのか、被災した悼む空間がそこにあり続けるということで、復興設計という意味では、1丁目1番地に当たるような設計ではないでしょうか。陸前高田は大変大きな被害を受けました。非常に特殊な環境の中で、内藤廣先生を中心とするメンバーが長い時間をかけて、一つの形を海に向けた軸というものに込められている。丹下健三先生も軸で、悼むという行為を表現されていますが、悼むという行為を海に向けて結実せしめました。そして、今も多くの方々が、この祈念施設に訪れ、当時の記憶・記録を見て学ばれていることも含めて、素晴らしい設計だったのではないかと思います。

三つ目は十津川村の復興公営住宅です。こちらは奈良県、十津川村とアルセットを始めとする設計者のチームで東日本大震災以外からの復興で、取り組まれていた住宅復興ということで、現地訪問したときの印象が強く残っています。過疎が加速していく地域の中で、復興デザインにどういうことができるのか。設計チーム一丸となって地域に入って取り組みながら、地域に元々あったデザインコード、つまり地形の中で家々がどういう特徴を持っていたのかを丁寧にパターンランゲージとして分析され、それに基づいて災害公営住宅を、中山間地の斜面地の中に上手く埋め込み、集落の再生を図ったという意味で、他に例のない、高い評価を得た作品ということになろうかと思います。

以上が2019年の復興設計賞です。

続いて2020年の受賞についてです。まずは釜石東部地区の復興公営住宅の天神・大町・只越地区が選ばれています。復興公営住宅はたくさん被災地で作られています。審査チームの中でも何度も現地に足を運んでいますから、ある意味目が肥えています。その中でこれが卓越しているのではないかというのが、この設計で、今でも印象に残っています。設計そのものも素晴らしいんですが、施工なども含めて、現実にできるだけ早く、そしてコスト内に収めるといった制約を満たさないと復興の支援にはならない。その中で、千葉さんたちが本当に現場まで降りていって、施工のチームと一丸となって、設計と施工ができる民間の共同企業体を作って応募されて、そこから一つ一つ作っていったということで、造り方そのものも、素晴らしかった。また地域と災害公営住宅が切れるんじゃなくて、連続的に抜けのある町から見え隠れするように繋がっている。災害公営住宅からさらに町に繋がって、かつ、多様な空間が公営住宅の中に出来上がっています。高齢者の方々も多いわけですが、ちょっとした農地があるとか、そういう工夫も含めて、いろんなコミュニティとの繋がりを生み出しうる模範となるようなデザインだったのではないかなと思っております。

最後に甲佐町の白旗団地と乙女団地です。私、この審査当時に新建築の月評を書いていて、この住宅も見に行きました。とても衝撃を受けました。二戸一の災害公営住宅なんですが、こんな作り方があるんだと。外側から眺めていると、白旗の農村集落の中に荒神様の石碑があって、さらに農家、旧家の建築がある中で、この住宅がポンと置かれているんですが、それが本当に旧村の形になじみつつも、一方で新しい建築の形が確実にデザインとして埋め込まれている。そうすることで、農村が生き返るような、農村の暮らしを大事にしている空間、絶妙な距離感を持つ共有空間が、微妙に二戸一の住宅をずらしながら生み出されています。丁寧にスタディされたんじゃないかと思います。地形の中に作られている乙女団地と、白旗団地と合わせて、素晴らしい二戸一の災害公営住宅の設計であったと思っております。

以上が過去の受賞作品です。ただ作品という言い方がデザインの場合はあまりふさわしくないようにも思います。建築家の方が、十二分に腕を振るえるという意味では、自然に作品という言葉も出てくるわけですが、いずれも設計者の方が地域のために、地域の方を主役としながら、どういうふうに支援できるのかというところで生まれてきている設計ですし、作品という呼び方を、設計者も望まないのではないかと思います。どの設計も現場における苦労と工夫の跡が見えますし、こういうものをぜひ今後の復興デザインの参考にしていただけたらというものを選ぶことができたのではないかと思っています。

芝原:それでは今年度の受賞作品につきまして、審査員の先生方からお話いただければと思っております。まず気仙沼の橋梁群につきまして、羽藤審査委員長と岡村審査委員に、審査会での議論を踏まえて、お話いただければと思います。

羽藤:これまでの設計賞は、土木設計が選ばれてない。地形を読みこむとか、あるいは土木の擁壁との組み合わせとか、そういう工夫は各設計に見られていたものの、土木そのものの設計は、時間がかかるということもありますが、選ばれていなかった。今回初めてこの気仙沼復興橋梁群という形で、選ぶことができたのは、誇らしいというか、よかったなと率直に思っています。気仙沼湾岸横断橋は、東北で初めての斜張橋です。いわゆる復興道路は、仙台から八戸まで8時間以上かかっていたところを5時間強まで縮める復興のシンボルとなる道路ですが、その中で、広域的なネットワーク、地域を繋げていく意味でシンボルになるような気仙沼湾の横断橋です。一方で被災した当時のことを思いますと、気仙沼大島と気仙沼との分断が、緊急時の輸送道路確保という意味で、船だけに頼っていては危ういという経験も踏まえて、ここに橋を作るということで応えたいということもありました。斜張橋とアーチ橋が、気仙沼の復興していくまちまちのいろんなところから、豊かな表情を与えてくれています。それぞれ橋ができた目的は、広域的なものと、ローカルものと違うわけですが、気仙沼のいろんなところで表情を変えながら、二つの橋が見え隠れしながら、気仙沼に新しい都市的な表情をもたらしています。これが復興のシンボルとしても評価できるのではないかということで、デザインそのもののクオリティの高さも含めて、評価されての受賞となったのではないかなと思っております。

岡村:まずエンジニアリングというか、構造的には非常にプロポーションがいい。日本でこれぐらいプロポーションのいい橋は今まであまり記憶にないので、そういうトータルのクオリティとしても非常に高いものだと思います。それがさらに羽藤先生がいうように復興の専門家だけじゃなくて、誰しもわかる形で表れているのはやっぱりこの橋梁群の一番説得力あるところかなと思うんですね。一般的に土木って、橋の設計する場合にいろいろのプロセスの中で、例えば予備設計、詳細設計、監理でわかれてしまって、誰が統括してこれをデザインしたのかがよく見えないケースが多いと思うんです。今回、どういう形でここまでしっかりした形でデザインされているのか。何か特殊な理由があるのか、あるいは関係者の努力なのかわかりませんが、資料を見ていると、両方大日本コンサルタントなんですが、やはり予備設計、詳細設計、監理という形でちゃんと最初から最後までやっている。そういう形で土木でも、最初から最後までちゃんとした意思で作られて、それでこういうものができているのかなと改めて思いました。建築の場合は、設計者はやはり最初から最後まで見るのが普通ですが、土木の場合はそういうわけにいかないケースがほとんどで、いろんな関係者、役所も、逆の作用をされるときもあったりして難しいんですよね。設計賞ということであれば個人の名前も本当は出るといいのかなと思いました。素晴らしい橋は日本でいくつもありますが、昔の橋梁のエンジニアは、個人というか、1人だったわけじゃないですが、誰がやったっていうのがはっきりわかっているものも結構ありますし、今回もそういうものがわかれば、ある意味設計し、人が作るものが、こういう大きなものでも、いいものができるということがわかるのかなと思いました。あとはこれ、全溶接で作られていると思いますけども、細かいところまでプロポーション、それからデザイン的なところで、角を滑らかにするために面を落としたスタディとか、土木の場合、大きな形の部分はエンジニアリングに立脚したものなので、それだけだとどうしても単なる構造物になってしまうところを、丁寧にやっているのがよい。丁寧にやれば他の橋でも綺麗なものができるだろうなとも思いますし、デザイン的にも、いろんな意味で参考になるというか、今後も模範になるようなものだと思います。よくやったなって感じです。

羽藤:気仙沼地区の橋梁技術検討総括委員会があって、そこで議論されています。土木の優れたデザインの場合は、設計の量も多いから、トータルのマネジメントが難しい。今回の場合は総括委員会を設けて、そこで設計案と、全体のコンセプトのすり合わせをやっていく中で、この形にうまく結実できたことと思います。復興のプロセスの中でそんなことやってられないところもあったりはするかと思うんですが、委員会を東北地方整備局をはじめとする諸機関が持って、機能や様式を決定していくプロセスも含めてコントロールできていたのではないでしょうか。こういったやり方そのものも、今回は土木の場合ですが、過去の優れた復興の設計では、建築でもうまくいっているものについては、建築計画の専門家の方がちゃんと入られているように感じています。設計と現場をつなぐマネジメントこ体制作りは、他の復興デザインに参考にもなるところではないでしょうか。

芝原:ありがとうございました。それでは続いて川原川公園について、乾審査副委員長と千葉審査委員からコメントいただければと思います。

:川原川公園は、人がほっとできるような場所が生まれているのは素晴らしいなと思います。陸前高田は大規模な嵩上げをして、まちの記憶が全くなくなってしまうということに対して、住民の方はいろんなことを思っておられると思うんですが、この川が整備されたことで、その失意がすこし和らぐんじゃないかなと感じさせるようなものができたのかと思っています。陸前高田は嵩上げした土地の上に高品質な建物がたくさん建って、いろいろと人が集まるところができてきて、まちらしい雰囲気が生まれてまちが少しずつ復興していますが、川が作り出す風景は建物でできる風景よりも、、人が生きていく糧みたいなものとして信じさせるようなものがあるなあと思いました。改めてインフラのデザインの力強さを感じさせるものでした。川原川は河川のデザインとして、復興という前提を抜いたとしても素晴らしいと思うんですけれども、これが復興の嵩上げの大変に風景が変わった中でできたのは本当に意義深いものだと思いました。

千葉:まず素朴に、川の流域、あるいは川のデザインは、かなりリニアな空間を丁寧にデザインしていくということになりますが、例えば建築が点を設計していることとは違う、地域に対する影響力の大きさがあるように思います。そういうリニアな空間が、町と数多くの接触面を持ちながら行われているデザインという意味で、インフラあるいは土木のデザインの力強さと同時に、それを見事に生かしたデザインであることを実感しました。当然その中で、川の上流から下流に行く中でも地域との関わり合い方や、場所ごとの風景や地域性も刻々と変化していくんだと思いますが、そういう場所との関係をきちっと丁寧に紡いでいくような行為によって、結果的に川だけではなくて、川も含めた周辺エリアの魅力があぶりだされているという点でも、大変素晴らしい計画だと思いました。

もう一つ思ったのは、東北の震災にしても、最近の様々な水害にしても、水との関わり合いが課題ですが、その自然を相手にすることは、やはり難しいわけです。実際東北で、川を遡上してくる津波もあり、多くの地域で影響を受けたと思うんですけが、そういう中で単に水との関係をシャットダウンしてしまうことは簡単なことなのかもしれない。でもここでは、その水ともう一度きちっと向かい合うことに取り組んでいる。そのプロセスが素晴らしいと思いました。もちろんかつては川が生活の中に、いろんな形で組み込まれていたと思うんですね。食料を得るとか、洗濯をするとか、あるいは実際に飲料水を得るとか、そういうふうに生活に密接に関わっていたからこそ、水辺空間、あるいは水は大きな意味を持っていたと思います。しかし近代化の過程ではそういうものは、どんどん遠ざかっていくものになっていった、そういう歴史の中で、途中のワークショップのプロセスなんかを聞いていると、地域の方々の記憶や、実際にそこで行っていた活動とか、そういうことを思い起こしながら、それらを手がかりにもう一度、水との関わり合いをきちっとデザインしている。そういう意味で、単に空間のフィジカルなデザインというだけではなく、今の時代にどういうふうにもう一度水が生活の中に、一つの営みとして関わり続けていくことができるのか、その場として川を位置づけることにも深くコミットしていたんだと思いました。土木とか建築とかに関わらず、やはり人の手入れ、人の営みが関わりながら生み出される風景はどこに行ってもとても美しいと思うんですね。なので単なるフィジカルなデザインということではなくて、人のなりわいや日常の営みの中で立ち現れる風景の美しさをきちっと作っているという力強さも感じました。

芝原:非常に町が変わっていく中で、また津波の記録もある中で、あえて水辺を生かしていくデザインの力強さみたいなものを感じることができたというお話は、重要なことなのかなと感じました。それでは三つ目の、HASSENBAについて星野審査委員と工藤審査委員からコメントいただければと思います。

星野:HASSENBAは、まず今までの既存の受賞作品と比較して、純粋に民間のプロジェクトというところが初めてで、それを皆さんと議論して評価できたことはすごく嬉しいなと思っています。特に今回は、気仙沼の橋と川原川と、両方とも偶然土木ですが、土木というよりは公のすごく良質な仕事だったんだろうなと思うんですよね。そういうのに対して、公ができないところ、手が届かないところという部分で、一つはスピード感ですよね。HASSENBAの場合は、水害で被災して1年後には復旧しています。グループ補助金を少しアレンジしたなりわい補助金のような仕組みを、うまく使いながら、スピード感を持って場所を作ってくれた。実際行くと、単におしゃれな場所作りましたというだけではなくて、使われ方が、本当地元の方々が憩に来ている場所になっている。まだまだまちなかは空き地ばっかりの人吉の町にとってこういう場がいち早くできるということは、すごく価値があるのかなと思います。もう一つ、皆さんの議論を思いながら聞きながら思い出したことというか、強調しないといけないなと思ったのは民間なんですが、球磨川下りの拠点でもあって、球磨川という今回大きな災害を出した川からその恵みを、一番に受けている一つのなりわいという、彼らの責任感みたいなもの、そういう意味では、公共心かもしれませんが、球磨川と共に生きるというのを発信する、一番の主体になりうるという彼らの責任感みたいなものも背景にあるのかなと感じました。

工藤:一つはいい場所ができているなと、単純に心地よい空間が提供されているってことの価値としての評価と、民間でこういう状況の中で頑張ってることは応援したいなって気持ちがあります。こういう町が大変な水害の被害を受けたときに、何かみんなほっとできる場所が必要なんですよね。そういう意味で、一つここが早期に、時間をかけてじゃなく早い段階で立ち上がって心地良い場所を提供できたことは、ものすごい努力あってできているんだろうなと思うし、先陣を切って頑張る人がいると、その後に続いてみんなも町も元気になろうとする大きな力になったんじゃないかと思うので、そういう意味で今回の賞に適している民間プロジェクトじゃないかなと感じました。

芝原:ありがとうございました。では今年度の受賞作品の総評を乾審査副委員長と羽藤審査委員長からお願いできればと思います。

:復興設計賞は、デザインがどのように現場に生かされていくのかということを問うているんだと思います。デザインというものは、様々な次元で復興の現場においてあらわれてきていると思うんですけれども、それをここ数年審査しつづける中で、人のいる場、あるいは人の気持ちが安らぐ何かをきちっと作っているものががリストアップされてきているのかなと思います。今年の特徴は、今まで評価できていなかった橋梁や河川というような、土木のものが選ばれたということと、民間プロジェクトが選ばれたということで今までにないタイプの復興デザインのあり様がまた現れたという感じがして、いいなというか、面白い賞であるということが改めてわかるような選択になったかなと思います。それぞれ次元が違うものの集まりなので、選ぶときはすごく難しいんですけれども、選ばれてしまうと非常に納得するというか、こういうものは評価に値するなというようなことがしみじみとわかるようなものが、今回も選ばれたんじゃないかなと思っています。

羽藤:乾先生からもお話ありましたけれども、復興デザインにふさわしいものが選ばれたなという実感を持っています。建築も土木も、よく都市デザインとか、アーバンデザインということを言いはするんですが、平時の町でもそういうことがなかなか難しい中で、今回選ばれた例えば川原川であれば、低平地の復興祈念公園と高台の災害公営住宅や市役所、嵩上げ地を見事に繋いでいくようなデザインです。気仙沼の復興橋梁群も、国と県の事業だということで複数の組織が、別々の事業だけれども、トータルで見たときに、気仙沼に見事な復興の風景を浮かび上がらせつつ、機能としても着実に島と気仙沼を結びつける、広域的に三陸を繋げるという機能も同時に満たしている。まさに都市設計としての復興デザインを実感させる良いデザインだと思います。HASSENBAについては、我々よく計画なき復興という言葉を使ってしまうんですけれども、やっぱり市民一人一人とか、民間側が復興していくっていうのが復興の基本だと思うんですよね。そこに対してどういうデザインがあるのかっていうときになかなか今までの復興デザインの中で選ばれてなかったものが、今回選ばれたと思います。地域でバラバラに復興するのではなく、集まって復興していくことで力が出る。こういうやり方もあるんだということが、今後の復興デザインにおいても参考になる事例が選べたなと思います。地元でいち早く復興したいという気持ちを受けとめて、それに応え、地元の復興力を支援していく、卓越した地元のデザインチームのチームワークが高く評価されたのではないでしょうか。今年は3件ともレベルの高いものが選べたなと思っています。

芝原:私も議論を聞いていまして、新しい見方、カテゴリーの作品が選ばれ、面白い議論だったなと思っております。長時間にわたりまして本当にありがとうございました。

羽藤:建築設計の素晴らしさが、意外に復興の局面で出てないとみんな思っていたけど、過去選んできた賞はその中でも大変な環境の中で創意工夫が見られる本当にいいものを選んできたって思っています。今回それに土木設計が加わったことで、両者を対比的に見たり、融合的に見たり仕組みをお互い生かし合うことで、東日本大震災で乗り越えられなかったものが土木と建築が重なりながら次の復興に向けて乗り越えられそうな、そういう感じがして、可能性を感じる審査になりました。皆さんお疲れ様でした。本当にありがとうございます。