復興デザイン会議 「復興デザイン座談会〜第3回復興政策賞・計画賞〜」

概要:第三回復興政策賞・復興計画賞の審査にあわせて、今回及びこれまでの受賞作品の概要や政策・計画を審査することの考え方などについて、審査委員会で座談会を開催しました。

開催日 :2021年11月10日(水)

開催場所:オンライン

参加者:羽藤英二(審査委員長・東京大学)、徳永幸久(副審査委員長・東京地下鉄株式会社)、秋田典子(審査委員・千葉大学)、廣井悠(審査委員・東京大学)、渡部英二(審査委員・東急建設株式会社)、山口敬太(審査委員・京都大学)、芝原貴史(事務局・東京大学)

コーディネート:小野悠(事務局・豊橋技術科学大学)

小野:第三回復興政策賞と復興計画賞の二次審査をつい先ほど終えました。まずは羽藤審査委員長から、政策賞と計画賞をもうけた経緯とこれまでの受賞作品についてご紹介いただきたいと思います。

羽藤:みなさま、どうもお疲れさまでした。政策賞と計画賞がどのような経緯で行われたのかを端的に申しますと、政策賞は、第一回の「くしの⻭作戦」、第二回の「⽷⿂川市駅北⼤⽕における『修復型まちづくり』の早期実現」、「津波被災市街地復興⼿法検討調査」、「3.11伝承ロード」など、調査やまちづくりの早期実現の仕組みなど、政策や制度がないと復興につながっていかなかったようなものが選ばれてきているように思います。

一方、計画賞は、具体の空間像やプログラムの計画も含めて地元がさまざまな形で頑張って復興が立ち上がったものとして、第一回の「中越メモリアル回廊」と「宮古市の復興まちづくり計画」、第二回の花露辺の防潮堤をつくらない復興集落(「花露辺地区復興計画」)、仮復旧から本格復興につながったBRT(「気仙沼線/⼤船渡線BRT」)、「釜⽯・平⽥地区コミュニティケア型仮設住宅の計画」、「芦屋市若宮地区の震災復興住環境整備」など、発災直後から復興の初期・中期を支えた計画が選ばれてきたと思います。

今年、東日本大震災から11年目であり、長期にわたる復興の中で、政策や計画が改めて平常心の中で見えてくるようになった点や、東日本大震災以外の地域で展開されている計画や政策を改めて眺めて、今回の審査ということになったと思います。今日の審査会で、どういう政策・計画が今後の復興に活かしていく価値があるものなのかということを相当議論したと思いますので、ぜひみなさまにはどんな議論がなされたか、それぞれの先生方からの視点などをお話いただけたらと思います。

小野:それでは第三回復興政策賞を受賞した「雄勝ローズファクトリーガーデン」と「復興CM方式」を中心に、審査会でどのような議論があったのか、どういう点を評価しようとしたのかなど、おひとりずつコメントをいただきたいと思います。

廣井:私が特に感銘を受けたのは、雄勝の取り組みです。緑化支援、災害危険区域である低平地の利活用、防災教育、地域経済などといった異なる視点を組み合わせており、総合性が高い点が評価されると思います。復興だと元に戻す一辺倒だったり、20世紀的な価値観を踏襲した効率化・発展を目指したり、次の被災を避けるために安全を重視したり、なにかと目的が単一になりがちですが、新しい発想で街をつくる、今までの都市の役割とは別の役割を持たせる、という復興の形も大いにありうると思います。最近ではこれをTransformationと呼んだりもしますが、雄勝の取り組みは精力的な活動を通じて、異なる目的を組み合わせた総合性が高く評価されるのではと感じました。

一方で復興CM方式は、あのような東日本大震災という大災害の後に集中的な検討をして短期で制度設計した点が特筆すべき点と考えます。南海トラフ巨大地震でも、首都直下地震でもいろんな課題が出てくると思いますが、ひとつのモデルケースとして、その時にも十分に役立つ知見だと思います。

他にも阪神淡路大震災を丁寧に検証する取り組みもありました。検証は一回やって終わりではなく、20年、30年、あるいは50年など、あらゆる時点で検証する必要があると思います。そもそも復興はそれくらい先を見て行う事業・計画ですので。という意味では、継続的に検証を繰り返す姿勢は高く評価されるのではないかと思います。

渡部:雄勝ですが、石巻は雄勝を含めて沿岸部の復興を石巻市さんがやりましたがそれのお手伝いをさせていただきました。その時、災害危険区域に指定された低平地をどう活用していくのかというのが最初から大きな課題になっていました。当時、色々検討します、企業を持ってきます、ということは言われていましたが、実際低平地を使っていくことは非常に難しく、当時の最大の課題だったんだろうと思います。それが復興から10年経ち、雄勝の低平地がこういう形で利用されてきている。伝統などが残っている地域だと聞いていますが、そういうものが大震災で途切れることなく、現在につながってきている。そこに多くの関係者がつながり、跡地利用みたいなのができている。津波災害というのは沿岸部の小さな集落が被害を受けることが多いと思いますが、これからの災害においても道標になりますし、東北に残っている低平地を考えていく起爆剤にもなるのかなと思います。こういう案件を表彰するのは大変意義深いと思います。

復興CMは当事者でしたが、厳しい評価があるのも事実ですし、こういうやり方をしなかったらできなかったというのも事実だと思います。ここで採用したのはアット・リスク型CMと言いますが、工事も含めてリスクを負ってやってくださいね、というやり方です。約10年前に日暮里・舎人ライナーの車庫をつくるときにそれらしいことはやってましたが、それを除けば、日本で全面的にやったのははじめてで、短時間に制度設計しました。この復興CM方式そのものがよいかというと議論がありますが、今後同じものをやるということではなく、地域や災害の状況に応じて変えるべきところは変え、簡素化すべきところは簡素化する、ということも含めてやっていくのかなと思います。2年前の長野県の大雨災害の時に、東北の経験から部分的に復興に活かせたということがありました。前の災害復興の経験を次の災害復興につなげていくという事例もできていますので、表彰されることで、次の災害が起きた時の参考事例としては有用になってくるのかなと思います。

山口:雄勝は、災害危険区域の取り扱いが難しい中で、その有効性がある意味示されたということだと思います。地域住民、ボランティアが協働して生き生きとした庭づくりを通じて、単なる拠点ではなく、心と心をつなぐような心の拠点になっていく、人と人がつながる拠点になって、それがまちに広がっていくというような展開が政策的にも興味深く、新しいまちづくりとして高く評価できると思います。私も見させていただきましたが、ガーデンの横にオリーブの木を植えて、地域経済の循環を工夫されている点も高く評価できると思います。

復興CMについては、東日本大震災の復興を歴史的に見たときに、この時点で復興CMが実施されたということが特筆すべきことかなと思います。発注者のマンパワーやノウハウ不足に対する補完という復興に特有の問題に対して有効であることに加えて、工期短縮、コスト縮減、業務効率化などいろいろと言われていますが、今後の復興事業においてベースになるような重要な選択肢になってくるのかなと思います。

また、先ほど廣井先生もおっしゃっていましたが、震災復興後長時間経ち、事業規模も含めて本当の意味で事業の妥当性を検証しようという動きが見られます。今回、残念ながら政策賞には至りませんでしたが、そうしたものも評価した方がよいのではないかという論点が出ていました。

秋田:復興CMは、甚大な被害を受けた東日本大震災の復興には欠かすことができなかった、必須のものだったと思います。復興から10年を迎えた2021年の表彰対象として、とても相応しいものと思います。

雄勝のガーデンについては、みなさんに見ていただいてとても嬉しく思います。私は「創造的復興」とは何だろう、ということを考えながら活動に取り組んできました。Building Back BetterのBetterということが、より大きくとか、より華やかにとか、より美しく、だけではなく、より小さく、より身の丈に、よりサステイナブルに、という形もあるのではないかと思っていました。実際に雄勝のガーデンでは、活動している方々が身の丈の持続可能性を大事にしてるところが、実は新しいのではないかと考えています。また、あの場所の持つ重要な意義として、ジェンダーという側面もあると考えています。東日本大震災の復興のプロセスでは、復興事業に関わる専門家も市役所や国の方も自治会さんも全てが男性という場合がとても多く、まちづくりの意思決定に男性の意向が強く反映されていたように感じています。その中で、雄勝の低平地では女性の方々が自ら汗をかいて、この見捨てられた場所をなんとかしたい、という想いで活動されています。現在、低平地で活動している団体は雄勝花物語だけではなく、複数に広がっており、また女性が中心になって頑張っています。みなさんは広大な低平地の中で、小さな面の活動をつないで大きな面にしようとされていますが、小さな面で活動されている方々の多くは、自分の家があった敷地で活動をされています。多くの自治体や国が、低平地の再生を考えるときに、土地をまとめて使いやすく大きくした方がいいと指摘していますが、雄勝のみなさんの活動を見ていると、細切れになった敷地だからこそ、うまく使えている部分もあるように感じます。雄勝の低平地の活動で重要な役割を担っているのは女性や高齢者で、多くの若者もボランティアとして手伝いに来ています。このように雄勝のガーデンは多様性のある復興のオルタナティブを示す場としても価値があると考えます。

徳永:先ほどもありましたが、復興CMは事業の実施には欠かせなかったと思います。もっと早くに受賞しててもおかしくなかったのかなと思います。

雄勝は、難しい地域でみなさんが協力して自らのこととして取り組みをされているのが本当に素晴らしいと思います。

また、今回表彰には至りませんでしたが、復興事業・計画の評価・検証は事業が終わったタイミングだけでなく、その後、賑わいや生活が再建されているかということも含めて行っていく必要がある重要なことだと思います。復興政策賞の中で、今後も議論し、取り上げていければと思います。 

小野:みなさま、ありがとうございました。続いて、第三回復興計画賞について、気仙沼大谷海岸、石巻南浜復興記念公園、黒潮町の事前復興に向けた取り組みの3点が選ばれました。こちらについても審査会で活発な議論が行われました。どのような議論が行われたのか、おひとりずつお願いします。

山口:気仙沼大谷海岸は政策賞として考えてもよいのではないかという話がありました。防潮堤のセットバック、道路の嵩上げなど困難な合意形成をうまくされて、それが市民の運動や検討が実を結んで生まれたということで、単なる計画の良さとしてだけでなく、まちづくりとして政策的な観点も含めて高く評価できるのではないかという話がありました。

また、黒潮町は防災まちづくりが盛んですが、近年、庁舎の移転など大胆な復興まちづくり計画を立てられて、他の地域にも勇気を与えるような取り組みが高く評価できるだろうという議論がされました。これからどれだけやっていけるのか、地区ごとの防災まちづくりがどのように進んでいくのか、期待したいと思います。

石巻の南浜については、復興祈念公園ということで陸前高田と並びますが、評価の視点が少し違うだろうという議論がありました。石巻は街だった記憶を残して、追悼、鎮魂の場所にする、また震災の記憶を伝承する、公園としてしっかり土地を残すという、公園計画よりもある種の土地利用計画として高く評価できるのかなと思います。空間デザインとしては、まだ十分な評価が得られないのかもしれないという議論もありましたが、それを踏まえても土地の考え方で高く評価できるだろうという話がありました。

今回選ばれませんでしたが、防潮堤と街を一体化したような事業について非常に高い評価がありました。今後のまちの成熟の中でどういう位置付けを得ていくのか、そういった期待も含めてもう少し後に評価してみようという議論もありました。

秋田:気仙沼の大谷海岸については、市民の方がすごく上手に合意形成されたのもそうですし、市民の提案に対して行政や国の方々が積極的に、しかも部署を超えて連携して海岸を再生し、空間を作った、ということが高く評価できると思います。それから途中のプロセスでも、海岸の砂を取っておいたり、防潮堤のデザインをみんなで協議したり、道の駅との関係性を確保したり、BRTの停留所をどうするかなど、総合的に考えられています。海岸だけでなく、その背後にある拠点施設も含めて全体として大きく復興に貢献し、気仙沼のアイデンティティになっていると思います。

南浜公園に関しては、空間そのものよりもプロセスが大事だと思っています。あの場所では500名近くの方が亡くなりましたが、その方々にどうやって祈りの気持ちを捧げるかを考え、公園の造成中も市民の方々が団体を作ってあの場所に木を植える活動を続けてこられました。造成中に活動を続けるのはとても難しかったと思いますが、国と県がそれを受け入れて公園の完成に辿り着けたというのが素晴らしいことだと思います。また、周辺にある遺構との連携もできているので、そのあたりも評価したいと思います。空間のデザイン面についてはこれから熟していくところだと思いますので見守っていきたいと思います。

最後に黒潮町ですが、町民の巻き込み方がとても上手いと思いました。防災に関しては意識づけが重要だと言われていて、危険だと分かっていても行動に結びつかないことがよくあるので、それをどう行動に結びつけるかということの工夫がとてもよくできていると思います。

徳永:まず、大谷海岸は地元の方々の活動があり、行政もうまくついていったということですが、国、林野庁、県、市役所が一緒になって考えたというのが素晴らしいと思います。JRのBRT化や国道の嵩上げなど、うまく状況が整ったというのはあるかもしれませんが、住民の取り組みに行政もついていけたという意味で、行政の立場としてはいい対応ができたんじゃないかなと思いました。

それから、南浜については、被災前の湿地や樹林地を回復することを意識して、そこに住われていた方々や被災を受けた方々にとって意味のある空間ができているんだろうなと思います。公園だとどうしてもシンボリックなもの、賑わいがあるもの、になりがちですが、本当の意味での復興、鎮魂と言いましょうか、震災の記憶を留めておくという点で意味があるんじゃないかと思います。

黒潮町は、事前防災、事前復興の取り組みとして先駆的で素晴らしいと思います。個人的にはこれがどう身を結ぶか興味があり、防災拠点の移転だけではなく、いろんな取り組みが進むことをぜひ期待したいと思っています。

それと、今回は表彰しませんでしたが、気仙沼内湾ウォーターフロントの開発について、防波堤と一緒に作った商業施設に加えて、内陸の商業施設が一体的な空間として出来上がってきており、ぜひ今後の展開を見ていきたいと思います。他の案件についてもその後の定着や、活用など、周辺への広がりをきちんと見ていきたいと思います。

渡部:大谷海岸はみなさんが言われた通りだと思います。復興では急いでいたり、関係者が大勢いたりすると断念することがあるんだろうと思いますが、大谷海岸は関係者がみんなで取り組むことで、困難と思われることもきちんとできますよ、地元の方が望んでいる被災前に近づけるような復興を成し遂げることができますよ、ということを示せたということで、大きな意味があるんだろうと感じます。

また、南浜祈念公園は、後世の人々の心に災害が刻み込まれるような公園になっているのが最大の印象です。この公園がこれからどのようになっていくのかを見届けていきたい、そういうことも含めて表彰されているんだろうと思います。

それから黒潮町ですが、第一回で宮古市田老団地が非常に速く高台に移転を成し遂げたということで表彰されました。東北は昭和津波など大きな津波の影響をそれまでにも受けていて、地元で議論する機会があり、その時、高台移転は誰もウンとは言っていなかったようですが、議論はできていた、ということがありました。それがいざ復興が始まった時に、じゃあみんなで高台にいきましょう、ということにつながり、工事も早く進み、移転も早く進んで、生活が早く始まったということなんだと思います。地元の巻き込み方が上手いねという話がありましたが、今のうちからそういうことを議論しておくことで、災害があっても復興のそのもののスピードアップが図られるんだろうと思います。もちろん、一番いいのは大きな災害が来る前に安全な地域になっていることだと思いますが。そういう意味でも黒潮町の事前復興というのは大きな意義があると思います。

小野:みなさま、ありがとうございました。今年度の政策賞と計画賞について審査員の先生方から審査会でどのような議論があったのか、お話しいただきました。最後に、羽藤審査委員長と徳永副委員長に総評をいただきたいと思います。

羽藤:政策賞と計画賞を復興デザイン会議の中で設けていることの理由は、計画文化を育てたいということがあります。設計賞はたくさんあります。形があって評価ができるので。しかし、政策とか計画を評価するのは難しい。将来のことを考えて、実践する人を助けようとするのが政策であり、計画なので、未来のことを扱う以上、当然多くの批判を受けるし、失敗だってあります。それの連続が、東日本大震災という非常に大きな災害であるが故に起きていたことだと思います。ピーターホールのGreat Planning Disasterという有名な本があります。日本語に訳せば計画の失敗とか、計画災害ですが、まさにそういうことが起きていたと思います。そうした中でも、現実に向き合ってきた人たちや、政策、計画があったように今回審査を通じて感じました。

復興CMは、大きな事業ですので、やはり多くの専門家が批判しています。しかし、あれだけの被害を受けて復興しようとすると事業の力を借りないと無理ですよね。この11年、振り返りながら、どういう問題があったのかということを重ねながらここまできました。こういうものが今回評価できるようになったのはこの政策賞・計画賞の審査が熟してきている、というところもあるのではないかと思います。

また、黒潮町の事前復興のような、審査の場ではまだ成功するかどうか分からないという言葉が出ましたが、まさにトライアルしている、分からないことにチャレンジしている、そういう計画が浮かび上がってきています。これこそが東日本大震災を経て、我々が獲得しつつある計画文化なのではないかと感じていて、非常に嬉しく思います。

そして、大谷海岸、石巻南浜の公園、雄勝、これらはどれも地形、ランドスケープのデザインであり、試みです。図と地で言うと、これまでは図の設計や計画、政策が評価されてきた度合いが強かったと思います。今回奇しくも3件もランドスケープに関わるものが出てきたのは、さきほど秋田先生からダイバーシティの取り組みがないとランドスケープは取り扱えないという話がありましたが、まさに多様なデザイン、取り組み、プレイヤー、計画、政策を我々がちゃんとした目を向けられるようになってきている、ということなのかなと思います。

大谷海岸は、本当に長い間取り組まれていて、BRT化、沿線の土地譲渡など連鎖する形でことが起こっています。石巻の南浜は500名もの方々が亡くなられた場所で何ができるんだという問題に誠実に取り組まれ、多様な形を公園の中に作り上げられました。雄勝については、生き物は循環するものですから、毎年毎年花が咲いてそれを繰り返していくところに仲間が生まれ、計画もその都度形を変えながら、生き物のように、多様な動きも出てきている。低平地をどうするんだという誰も答えがでない中で、独自の取り組みでやられたのを今回評価できたことが嬉しいです。土木や建築、ランドスケープという枠組みを超えて、違いを結びつけるようなものが選べたのではないかということが今回の大きな特徴ではないかと感じました。

徳永:政策賞については、政策というと行政側でやってる部分のウエイトが計画や設計に比べて高く、厳しい評価をいただくことも多く、そういうものをこういう場で評価していただけるのはありがたく思います。もちろんいろんな批判に真摯に対応しないといけないと思いますが、初回のくしの⻭作戦ですとか、昨年の津波被災市街地復興⼿法検討調査ですとか、今回の復興CM方式など、いろんな立場の方から見ていただき、意見をいただくという意味で、すごく政策賞は意味があると思います。

計画賞は、羽藤先生がおっしゃるように、奇しくもランドスケープに関わるものを表彰することになったのも、これまで全体の計画、地区の計画、住宅の計画、交通の計画などを表彰してきて、遅まきながらランドスケープの計画について表彰になったということで、ひと回りしたのかなという気がしています。

政策も計画も評価のタイミングが変わるといろんな評価が出てくるので、引き続ききちんと見ていきたいと思います。

また、昨年糸魚川の大火を政策賞で表彰しましたが、今回も、水害や他のいろんな災害に関わるものについてもぜひ評価したいと思っていましたが、結果的に表彰に至らなかったのは残念です。今後いろんなところに目を向けていきたいと思っています。

羽藤:今のに関して、水害の復興計画や政策であれば、水害、河川だけでなく、地震や津波、火災で、どういう試みがやられているのかをぜひ受賞されているプランニングを見ていただくことで取り込めないか、あるいは復興CM方式から何か他のところでも学べないか、というところが、今回、みんなで議論した点じゃないかなあと思います。今回、全国大会では「複合災害と新たな都市像」というテーマを掲げていますが、まさにひとつの災害ではなく複数の災害が重なったときに、どういう計画、政策が必要なのかを考える上でも、ぜひ今まで受賞したさまざまな計画・政策を、分野が違ってもぜひ目を凝らして、今後の参考にしていただけたらなと思います。

山口:今回3回目の審査ですが、2年前はこういう評価をした、1年前はこういう評価をした、というように、時間によって、都市のあり方によって、評価の視点だけじゃなく、意味みたいなものが変わってくるのも、すごく面白いなあと思いました。

羽藤:Peter Hallの計画の失敗の中でオペラハウスが取り上げられていますが、あれは最初の計画から建設費が18倍になって大失敗と言われましたが、今あれが失敗という人はいないですよね。計画の評価が、ある一時の評価としては成功とか失敗って言えるけど、昭和三陸の時に作った復興地が今回すごく役に立っているとか、10年、20年、30年経ないと分からないこともあると思います。我々も今後そういうところは見ていかないといけないでしょうね。そういう意味では、山口さんは土木史とか、歴史とか、形成史も見ていますが、そういう視点でプランニングや、政策に照射しながら、評価していく視点が大事なのかなと思います。

小野:それではちょうど1時間が経ちましたので、政策賞・計画賞の座談会を終えたいと思います。