火山と復興
第12回復興デザイン研究会では、「火山と復興」と題し、火山防災の専門家・実務者の方々に話題提供いただき、ディスカッションを行いました。当日は、約20名の方にご参加いただきました。参加いただいた皆様、ありがとうございました。ここでは、質疑・討論の内容を掲載致します。
開催概要
日にち:2017 年12 月8 日(金)
登壇者
- 杉本 伸一(日本ジオパークネットワーク事務局次長)
- 荒井 健一(アジア航測㈱ 国土保全コンサルタント事業部 火山防災課長)
- 臼杵 伸浩(アジア航測㈱ インフラマネジメント事業部 副事業部長)
- 窪田 亜矢(東京大学)
場所:東京大学本郷キャンパス工学部14 号館222 号室
主催:復興デザイン研究体
概要
1990年に火山活動が始まった長崎県の雲仙普賢岳。1995年に噴火活動が停止するまで、火砕流や土石流を繰り返し、40名を超える人的被害を出し、噴火活動中は、避難や主要国道の封鎖などが断続的に行われ、経済的な損失も大きかった。 この災害からの復興においてシンボル的な事業は、安中三角地帯の嵩上げ事業である。土石流が流れ下った水無川と、災害後に整備される導流堤の間に窪地のように残された三角地帯全体を土石流による土砂を利用して嵩上げし、被災した住民の宅地を確保するものである。住民による発意により、嵩上げ推進協議会が立ち上げられ、行政を動かし、実現にいたった。その後、協議会は地域のまちづくりを担う組織へと進化を遂げている。 日本には、活火山は111存在するという。雲仙普賢岳が前回噴火したのは、約200年前であり、周辺で生活する住民にも、火山災害についての正確な理解と認識が欠如していたという。現在は火山の観測技術が進歩しているが、火山周辺地域においては、行政・住民・専門家が連携し、平常時から火山災害・防災・復興について理解する取り組みが求められている。
質疑応答
井本(復興デザイン研究体):最後の嵩上げ事業について詳しく知りたい。完成までに8年間かかっているとのことだが、住民の合意が取れているとのことだが、完成後戻ってきている方、そうでない方などいるかと思うが、そのあたりの住民の動き、戻ってきている状況や畑などの生業との関係性の変化などはどうなっているかを知りたい。
杉本:8年間かかっているということで、実質的には半数ほどが戻ってこなかった。8年はかなり長く、その間にこのエリアの外に行く人がいる。東北の嵩上げ事業でも同様のことが起きている。島原でも当初は半分くらいだったが、子供が大きくなって新たに家を建てる時に三角地帯に来る、もしくは子供に今立てている(新しい地域での)家をあげて三角地帯に引っ越してくる、あるいはまったく別の人が新しく土地を購入するなど、徐々に増えてはいる。ただし、事業完成当時は半数ほどしか戻ってこなかった。
井本:土地を残していたことが、長い目で見ると、時間をかけて日常に戻るということで、当初は半数でも世代が変わる中で一般の住宅地として復興することを考えれば、その時に判断することは難しく、長期的な目線で事業を評価することが大事ということか。その先を見越した時には、意味があったといえるのか。
杉本:長期的に見ないと難しい面はあるだろう。住宅地は真ん中に固めておいている、両側に畑。山側に住宅地をおかないのは土石流の被害を受けないように。本来は川沿いにも住宅を建てない、などするべきだったがそこまでは住民の合意が取れなかった。 もうひとつ三角地帯のまちづくりで失敗した点としては、斜面だったので階段状に宅地を作った。階段状に定型で作ったために、国道沿いは、国道より道下は国道と同じレベル、国道より山側は擁壁があり一段上になってしまった。そのため、もともとその場所で商売をしていた人はそこでは仕事ができなくなってしまった。デザインの時に考えればよかったのだが、単に階段状に作ったことによる弊害があった。もっといろんな人が考えれば解決できたかもしれないが、帰れなかった商店なども出てきてしまった。
窪田:当初から半数くらいしか戻ってこないと予測して進めてきていたのか?
杉本:7割くらいは帰るだろうと思っていたが、時間がたつことによってだんだんと。小さい子供がいると5,6年経つうちに特に本拠地が移ってしまい、子供を説得できない親御さんも出てくる。
窪田:5年くらいからかかるとは思いつつ、100%同意した時には皆さん戻られようとはしていたのか?
杉本:戻るよりは嵩上げに対する同意。お年寄りは子供のところに行ったりというのはどうしてもあった。
井本:伊豆大島は全島避難したが、住宅地の被害は基本的になかった(1980)と聞いている。そういう意味で人災にはならなかったが、災害後に山から避難経路を作るということで、御神火スカイラインが通り、山のほうに住宅地開発され、次は土砂災害が起きてしまうということになってしまった。災害ごとに住宅地が形を変えていき、場合によっては災害リスクの高いところに住むよう誘発するような計画もある。この事例においては、嵩上げのようなインフラ工事によって元の居住形態が大きく変わるような復興事業、変化はあったのか。
杉本:三角地帯よりもっと上の部分にも、火砕流や土石流で埋まった部分は住めなくなり、今は人が全く住めない。そこは集団移転。集団移転先は眉山の崩壊の一番縁のところ、次はもしかしたら崩れるかもしれないというところだが、住民の人は昔のところがなるべく近くに見えるところにいきたいという要望があり、結果的にそのような場所に移った。あと、中尾川(水無川とは別のところ)河口部より北側に海岸を埋め立てて新しいまちづくりの計画があったが、元の近くで復興したいということで埋め立てをやめ、山を切り崩して復興した。
A(一般参加):嵩上げしたところは農業していたところ?
杉本:一応農業地帯。
A:嵩上げした土砂が適さないと農業は出来ないだろうが、どうしたのか。
杉本:嵩上げの土砂自体は土石流の堆積土に客土で畑を再生した。
A:土石流がこれからも起きると思うが、川に埋まらないのか?
杉本:今のところ、上流は砂防の堰堤があり、そこからストック場所である他のところにもっていっている。かなりおおきな砂防の堰堤があるため、まだそこで収まっている。本来砂防ダムの土砂をどこに持っていくかの問題は出てくるが、まだ今はストック場所でおさまっている。ただ土石流は今後もずっと起きていくだろうとは思っている。
水上(建築学専攻M1):住民の対立が一番大変だったとのことだが、専門家としてかかわっていくうえで、住民の方に話をきくなどの際に、住民間の意見の対立があった時に、専門家としては両方の方とうまくやっていく必要があると思うが、どうすべきか。接し方などに対するアドバイスなどあれば。
杉本:難しい問題だとは思うが、双方を説得するにも、住民同士が対立しているときは本当に険悪。刃物を持ち出さないかくらいのところまでエスカレートする。お互いの話を聞き、専門的にアドバイスをすることで、住民はかなり極端に意見を言うこともあり、勘違いしていることなどもあるので、対立が融和までいかなくても、互いの言い分が納得できるようになることもある。やるためには、中に入ってお互いの気持ちを聞かないとそこまでできない。最初に東大新聞研究所で来たメンバーの中には体育館に泊まって体験していた人もいる。中に入ってどのような生活をして、どのように感じているか聞いたうえでかかわっている。
窪田:中立的な立場とはどういうこと?
杉本:片方だけの意見を聞いて行動するのは…対立しているところの意見言い分を聞いたうえで互いにアドバイスすることが必要。支援で来ていても、そこだけ、その人だけしかやらない場合が多い。行政の意見もきくなど、いろんなところでやってほしい。島原でやった人は、住民ともいろんなことをしたが、行政の中に入ってもいたし、住民と行政両方のアンケートも手伝うなどしていた。それで実際に計画を作るときにはその人たちがうまくコーディネートできていた。
窪田:荒井さんなど専門家として入って、知っていたこと、住民が知りたい、行政がそれは難しい、などの対応はどのように?
臼杵:溶岩ドームの崩壊に関しては委員会の中でもいろんな意見があったが、基本的には住民にすべて情報を出す。ただ情報を出すとしても、具体的なことを伝えても誰もわからないので、ソフト対策委員会、もう少し住民と行政が一緒にやれるような場のなかで、こういう変化はどういうレベルのものなのかを住民に教えてもらっている状態。数値としてどういう状況なのかははっきり示したうえで、それがどういうものなのか理解してもらっている。
窪田:3日後なのか、1年後なのか、火山は人間のスケール感覚で測れないが、住民はそういうことを知りたがるのではないか。
臼杵:委員会直後でも、「何mm動いたらいつ崩壊するの」と直接質問されるがわからない。そういった現象でないことをわかってもらわないといけない。イタリアの事例があった、というように長期的な動きがあり、加速し、動きがとまる。泊まると崩れないと思うがそれでまた動き出すということもある。そういう動きをするものだとわかってもらうこと、実績からどういう状況になっているかをわかりやすく説明するのが一番。いつ崩れるかは断定できないと理解してもらわないと。
窪田:ジオパーク的な、教育、火山はそういうものなのだという素養くらいがないと専門家が情報を隠しているのではとなってしまいかねないのでは。
杉本:わからないことはわからないとはっきり言ってほしい。住民の立場からは、何が分かって何がわからないのか、わからないということを示すことも含めて情報公開してほしい。
A:口外禁止ということがあったが、極端に動くかもしれない、危ないかもしれないというが、普賢岳は特徴ある動きはしているということで、それに応じたお知らせのようなことは専門家でないとわからないのでは。逃げていて災害が起きなければいいが、逃げずに起きたら大変なことになるし、ここに兆候があり、200年前もそういうことがあったと伝えれば
杉本:平常時にやっておくべきことはそれ。過去にどのようなことが起きているか、それを知っていれば、今回はこういうことが起きている、前回との相違は言える。雲仙では事前の学習なし、火山と思っていないような状態で住んでいた。島原大変のことは、小さいころ聞いていたが、山が崩れて人が死んだ、と、火山と切り離されて伝えられてきている。それが落とし穴だと思っている。
本田(復興デザイン研究体):戻ってこられた人は、戻ってきたのか、世代が変わったのか、関係者なのか、別の人なのか。戻ってきている人は、避難訓練をやったらどれくらい参加するのか、など、地域のリスクをどれくらい考えて生活しているのか
杉本:ほとんどはもともと住んでいた人が戻ってきている。若い世代は少数。他から来たのも少数。避難訓練、リスクについては、かさ上げにより安全なところだと思っている。三角地帯は危険の色が出なかったが、本当なのか…?安全だ、という認識が先行しているが本当に安全かはわからない。そういう意味では、普賢岳の噴火も風化してきている。いかにきちんと伝えるか。物事を伝えることも大事だが、災害のさなかでした様々な思いを伝えることも必要だと思っている。施設としては残っている。それに加えて、その時暮らしていた人がどのようなことを感じたのかも伝えないと伝わっていかないだろう。
本田:守る、復興にもお金がかかり、社会的責任がある、自分たちの経験が次の防災にどのように生きるか、情報を残して伝える責任があると思っているが、本人が忘れては伝わらないので、次あった時には見事な対応が見せられれば、よかったとなるが。どこの地域でも難しいが、それが準備できているか。地元の人にそういう活動などが残るとよい。
杉本:一環として、防災塾(子供たちに実際に体験した大人が公民館で伝える活動)はしている。それに関わる人ももっと増やしていけたら。もともとは国交省主導でやっていた事業だが、それをできるだけ地元の人でやるということで少しずつシフトしている。
澤山(都市工専攻M1):住民の意向を踏まえて計画を立てる際に、住民の意向もリスクがある中で所与のものではない、住民自身にも迷いがあると思うが、それはどのように?
杉本:アンケートも、ほとんど専門家が入っている。住民だけでは災害のなかでそれを行うのは不可能に近い。アンケートの作成から結果の分析まで専門家に入ってもらいながら。アンケートの中に見える意見も、アンケートから漏れる意見も回答を重ねながらくみ取っていった。 そういったことが丁寧にできているところはうまく復興できている、それがうまくできなかったところでは復興にすごく時間がかかっていたり、思っていたことがなかなか出てこなかったりした。災害最中でまとめるのは困難な仕事だが、それをすることで素晴らしいまちづくりにつながると思う。
澤山:そもそも、住み続けたいか、などで住民が迷うことはあったと思うが?
杉本:時間の変遷とともに変わっていく。その時々で変わるので、継続的に同じようなアンケートをすることが必要だった。最初は、住み続けるか?など聞くのもはばかられるような状況だが、あえてそれもやりながら、時間の経過とともに変わっていくのでそれを踏まえて。勇気のいる仕事だとは思う。
萩原(復興デザイン研究体)NPO法人島原雲仙会について。市民火山ネットワークの中で示した地域は直近の火山災害の地域だが、雲仙岳は200年ぶりに火山噴火している。最近噴火していない地域の方は参加しているのか。そういう地域のほうがむしろリスクがあるのではないかと思うが、そういうところに活動を広める必要性はあると考えているのか。
杉本:復興をどのようにするか。被災者支援から成り立っているので、最近の噴火地域が中心。ただ、それぞれのNPOがあったが、それぞれ現在はもう解体していて、この活動も休止状態。逆に言うと、市民レベルのネットワークはもっと広げるべきだと思うが、いまは活動が衰退している。本当は市民レベルの活動が必要だろうが。御嶽山はあったが、最近火山の災害も起きていないので、動きがなくなっている。今後またそのような災害が発生したらどうなるのかわからない。
臼杵:雲仙普賢岳のような噴火をする火山は?
荒井:国内で雲仙とそっくりだと有名なのは上高地の焼岳。昭和37年にもおなじような噴火。そっくりな山はほかにもある。溶岩ドームを作る山、富士山のようなしゅっとした山にだいたい二分される。
臼杵:焼岳、ホテルはあるが、保全対象はないのでは?
荒井:人がいないと災害ではない、人がいるから災害が起きるので、防災の役割としては人がいるところを守ること。ジオパークは昔からの大地の成り立ちも学んだうえで、今いるのはどういうところ、だからこういう暮らしがあり、こういうことが起きることもある、と受け入れられるような環境づくりをされているという理解。有珠山は住んでいるところと噴火口が直近、それでも住み続けている方がいる。
杉本:有珠山、いつ自分の住んでいるところから噴火するかわからないような場所。火山に接近して生活しているところは日本各地にあるが、ほとんどの人がその近くで住んでいるということを考えないで生活しているように思う。
荒井:最近噴火していない場所にこそ対策が必要ということを考えている人もいるが、それよりも先にやるべきことがある。地質を学生時代から専門にしてきた中で、やってきた場所は最近噴火していない、ただ有珠山と同様、噴火口と居住地が接近している。廣井先生のアンケートを参考にアンケートをすると、火山だとは知っているが、神様である、噴火したらしょうがないという認識。アンケートをして、知らないことが分かった。その結果は素直に公開する。その時は町の広報誌で公表した、火山のふもとで生活しているが皆さんこういう認識ですよ、でもここはこういう土地ですよ、とプラスで説明。一緒に学ぶようにする、その次にアンケートをすると値がよくなる、ということが確認されている。一番いいのはジオパークが好例。悲しいことを考えながらではなく、楽しい感じにするのがよい。ただ、それを導く専門家はいない。行政や住民などで地元に思い入れのあるひと、火山の専門家が多いが、独自の専門分野を入り口にしてやること、考えようはあるのでは。
窪田:進化する組織という話があったが、災害直後から平時のまちづくりになるときに上手な進化の仕方がないと被災の経験が薄れていくのかなと感じた。