内藤 廣 顧問 特別インタビュー(後編)

東日本大震災から10年を迎え、COVID-19によって社会のあり方が問い直される中、私達はこの経験をどのように生かしていくことができるでしょうか。2021年4月、復興デザイン研究体・内藤廣顧問にインタビューを行いました。

インタビュー後編は、今後のまちづくりや事前復興に向けたヒント、大学や学生に向けたメッセージを伺いました。

内藤 廣(東京大学名誉教授・内藤廣建築設計事務所)

聞き手・編集:萩原 拓也(復興デザイン研究体特任助教)、小関 玲奈(社会基盤学専攻 修士2年)

美しい風景・豊かな暮らしへの発想の転換

東日本大震災から10年となりました。今後の東北の再生ということをどう考えていったらいいのか。福島はまだ厳しいという話もありましたけれども、どういう発想の転換が必要なのでしょうか。(萩原)

岩手県の内陸、要するに盛岡と三陸地域とは全然事情が違うと思うんですよね。それはね、何かの委員会の資料で見たんだけど、総生産額比で言うとね60~70対1ぐらい違う。だから、三陸の票を全部集めても知事になれない。やっぱり内陸部には自動車部品産業も含めていろんな産業がある。そういう経済力は圧倒的で、いわゆる1次産業はGDPが低いんですよ。したがってそれを前提にして、三陸では低密度で豊かな場所をどうやってつくるか、というふうに頭を切り替えるべきだと思うんだよね。もっと集約して、低密度なりの地域の暮らし方みたいなのが発明されれば、それは綺麗ですよ、三陸という所は。

今はやたらとどうやったら人口を元に戻せるか、さらには増やせるかということに集中しているけど、100年ぐらいのタイムスパンを冷静に睨めれば、答えはそこにはないような気がする。人口密度は低くて高齢者も多いけど、すごく豊かでいいところだよね、というふうになるのが多分無理のない正解かなという気がしています。本当の豊かさっていうのは、ああいうところへ残るといいなと思っています。

僕は、日本の原風景の一番美しいところって、山口県の周防灘のあたりから島根県の石見地方、あのあたりにしか残らないんじゃないかって思っている。それはどういうところかというと経済的に置いてかれたところだよね。だけど今、そういうところがやっぱり綺麗だよねと、たくさんの人が行って、おいしい魚を食べたりしている。そういうところの豊かさは、何か本質的に都会的なものと違うんじゃないかと思うんです。三陸も本当はそうなってほしい。

ただ今は復興の姿がちょっと痛々しいので、どうやってそういう良い環境に地域がシフトしていけるか、そろそろみんなで考え始めたほうがいい。もう区画整理もやっちゃいましたけど、別に使わないんだったらあの区割りを田んぼにしたっていいわけだから。100年くらいかけてゆっくりと山側に居住していくっていうビジョンがあったっていいと思う。密度は低いけれど一つ一つの暮らしはすごく豊か、というような感じに100年ぐらいかけて変わっていくといいな、という気がしています。

福島は原発を抱えているから、それだけでは駄目だけどね。成り行きに任せて変わっていくのではなくて、もっと人為的な施策が必要だと思う。

「地域学」と大学の役割

アイテムとしてずっと言っていることが二つあります。これを若い人に伝えておきたい。本当は東大をはじめとした旧帝大にやってほしい。

一つは、「地域学」を作った方がいいといろいろな所で言っているんです。三陸だったら岩手大、宮城だったら東北大、北海道だったら北大って、それぞれ明治政府が作ったわけじゃないですか。だけど今、政府は大学予算をどんどん削って学科統合をやったり、教員縮小をやったり、馬鹿なことやっている。そういう中で、新しい学部創設とか、新しい学を立ちあげるってことは非常に困難になってきていることは理解しつつも、僕は「地域学」を地域の要となるそれぞれの大学に設けるべきだろうと思っています。

そこには、当然国交省系のテリトリーである土木や都市計画や建築も横串で混ざっていて、経済も混ざって、それから医療も混ざっているかもしれない。そういうデータセンター、データバンクみたいなものがあれば、何か起きたときにそこがハブになって、復旧・復興に当たればいいわけだよね。だけど、世界有数の災害多発国なのに、今現在そういうところがどこにもない、恐ろしいことに。だからしょうがないから、東京から学識が出ていって委員会に加わったりしている。本当は、岩手のことは岩手大がやればいいんじゃないか、福島のことは福島大がやればいいんじゃないかって思っている。そうならない理由を1回は考えるべきだと思います。

社会の蓄積的なデータは、一般市民はお役所が持っていると思っているんだけど、それは違うよね。役所は上から下まで人事が2年ごとに変わっていく。そうするとそういう地域の蓄積的なデータっていうのは、アカデミックセクターでしか保持できないんですよ。アカデミックセクターに、そういう地域学みたいな、データセンターみたいなハブがあれば、そこを中心に、事前復興や復興を考えることができる。そこに横断的に医療や経済や農水も入ってやる。そういう品揃えがあるのは総合大学しかできないので、そうなると、旧帝大系が持たざるを得ないんじゃないかなと思っています。やっぱり、東京から通っていってなんとなくその地域のことが分かるようになるには、最低二~三年はかかるわけだから。緊急事態に対応する体制としては向いていないと思う。

そういうことあちこちで言っているんですが、どうして広まらないかっていうと、東大がやらないから(笑)。全国の大学は東大を見ている。東大で学科再編とかがあると、1年後とか2年後になんか似たようなことをいろいろなところでやるんですよ。東大が大学の一つのステレオタイプだから。本来は東大で地域学とかやるべきなんだよ。東大は首都圏を引き受ける、他はそれぞれやつてください、というふうになると分かりやすい。都市工を地域学科に名前変えるか(笑)。もう本当にそれでもいいと思うんだよね。その代わり、そこにはいろいろな分野が入らないといけない。全部横串で情報共有していかないとね。そうなると面白い。

「常備兵力」としての建設業を見直す

それからもう一つ、建設業をもう1回考え直すべきだと思っているんです。何か起きたときに、それを誰がやるのかってことですよね。頭で考えるのは、頭のいい人がたくさんいるからいいんだけど、実際に誰がそれに当たるんだというときに、労働力の問題が出てくる。そうすると、建設業っていうのは海千山千で玉石混淆だけど、ある程度の労働力が地域で生きていけるような状態をみんなで考えていくべきだと思います。そうじゃないと、ある日、蓋開けてみたら誰もいないという話になる。

費用便益だけでギリギリつめていくと、公共財としてのインフラのメンテやそれを支える労働力というのはカサカサになっていってしまう。もうちょっと健全な意味で、言葉が適切かどうかわからないけど、地域の常備兵力としての建設業っていうのを考えておくべきだと思います。自衛隊に頼るのもいいけど、自衛隊は短期的かつ局所的なことには即応できるけど、長期的で面的なことに関しては無理だからね。災害救助の緊急避難的なことはできるかもしれないけど、広域災害が起きたときに、どうするかといったらやっぱりたよりになるのは地域の労働力ですよね。東京で人を集めてとかではなく、そうすると建設費がボンと上がるから、常時、建設業に関わる人たちが全国津々浦々で暮らしていけることが必要で、公共事業というのはそういうスタンスで意味を読み替えていくべきだと思っているんですけどね。仕事が常時あれば飯が食っていけるわけだから、そこで家族を持って暮らしていこうかと思う人たちがいれば、常備兵力としての建設業の在り方というのが成り立つんじゃないかなと思います。そうでないと、何かあった時に対応しようにも、僕らは手足をもがれたような状態になってしまうからね。

建設はじめ、他のことも含めて複合的に生業にしながら生活するようなイメージもありますでしょうか。(萩原)

あると思う。ただ、やっぱりいきなり土木作業とかいきなり建築をやるとかっていっても無理だよね。ある程度の経験や技術を持っている人、そういう人たちがいなきゃいけない。いなければ、程度の問題はあるにせよ、都会から建設会社が出ていってという話にしかならない。それはあまりいいことじゃないような気がする。

岩手県大槌町の復興市街地の風景(撮影:萩原)

「未来学」としての事前復興を発信すべき

最後に、学生たちがこの春からまた大学院スタジオで考え、事前復興をこれから学んでいく。そういう学生たちに期待したいこと、メッセージをお願いします。

事前復興に関しては、もっとポジティブな形で、自信を持って堂々とやってもらいたい。なんか、平時には、来るぞ、来るぞ、みたいな狼少年みたいに、みんな考えているはずです。そうじゃなくて、もっと国の骨格とか根幹を決めるようなつもりでやってほしい。言ってみると事前復興というのはいわば「未来学」だよね。事前復興という名前がよくないかもしれない(笑)。ちょっと後ろ向きの感じがするので名前を変えるべきかな。

高知の南海トラフ地震の委員会に去年から入って、事前復興についてのレポートを読んだら、当初の被害想定では高知県だけで4万人が犠牲になると書いてあった。三陸全体で2万人だからね、その倍くらい高知県だけでなってしまう。それがこの8年間の事前復興の取り組みで1万人になりましたと書いてあった。もし本当なら、事前復興によって3万人の命を救ったってことになるよね。まだちょっと信じられないのだけど、本当ならすごいことです。そういうのをポジティブに考えるべきだよね。

この手の話で難しいのは、守られちゃうと「なかったことになる」ということ。2019年の台風19号では河川氾濫直前まで行った。ぎりぎりのところで多摩川も荒川も越流しなかった。もし破堤したら墨東地区は水没する。ギリギリまでいったのに、破堤しないとみんな忘れるよね。災害っていうのは、なにかそういう不幸な面があるわけで、防げちゃうと忘れちゃう。そこはちゃんと皆さんが言わなきゃだめです。未来学でうまく作動するように、それをちゃんと言わないと、みんな支援してくれないし理解もしてくれない。もっと堂々と、胸を張って、みずから取り組んでいることの意義を言うべきだと思います。

地域社会の皆様に成果だとか、メッセージだとかを積極的にどんどん発信していくということですか。(萩原)

そう。まだ現実に起きていないことに対する事前の予防なのだから、学の発信力が問われる。やっぱり学会向けに論文を書くことに気を奪われていると(笑)、そういう動きにはちょっと鈍感になるかもね。もっともっとポジティブな話でいくべきだよ。学会というとどっちかというと実証的な話になりがちだけど、もっと未来に対して構築的なテリトリーとしてあるべきだと思うんだ。まだ起きていない未来の話なので論文になりにくいけど。

仮定を疑う

もう1つだけ、象徴的なアイテムを説明したい。いつも再開発のアドバイスなどでディベロッパーに話をするようにしている「非常用発電の話」をして終わりたいと思います。「非常用発電72時間」というのが、大型開発プロジェクトではみんな書きます。要するに3日間ですよね。3日間持つので大丈夫です、と。さらに大型のプロジェクトになれば、それにプラス中圧ガスで発電できます。「72時間の非常用発電+中圧ガス発電」っていうのがある種のスタンダードになっている。

だけど、誰が72時間って言ったのかと。何の保証も根拠もないんですよ。3日で復旧するなんていうのは、ある種の仮説でしかない。中圧ガスのネットワークは耐震性が優れていると言ったって、大震災なら寸断されるかもしれない。だけど、決めなきゃいけないんで決めました、大丈夫です、うちは72時間で中圧ガス発電もフェイルセーフで準備してますからと言う。まるで事故前の原発みたいな言い分ですね。でもこれは、今の日本の決定的なまずいところですよね。横並び、ある種の思考停止、ただの責任回避、未必の故意です。これは極めて象徴的な話だと僕は思います。3日で直ることになっていますが、大災害ではありえないですよね。中圧ガス管だって断層が出来ればちぎれてしまう。

さっき話した高知の委員会は、沿岸の自治体の首長がメンバーなんだけど、みんな市役所の建て替えをやっているわけですよ、事前復興で。非常用発電は何時間ですか、と聞いたら、口を揃えてみんな72時間と答えた。それでみなさん大丈夫ですかと言ったら、黒潮町の町長だったかな、もういきなり見直しますと。そのあの辺りの市町村では、津波が来たらどうなるんですかって聞いたら、1週間ぐらいは孤立すると思いますと言うわけですよ。だったら72時間はおかしいでしょ。子供が考えてもわかるくらいの話なのに、「防潮堤で防げます」という話と同じで、この国ではものすごい勢いでパターン化して思考停止していく。悪い癖です。

復興や災害を扱う人や若い世代は、なんでも疑わなきゃ駄目です。思考停止が一番こわい。想像力をたくましくして、想定外の領域を可能な限りすくなくしていくべきです。ちゃんと自分の頭で理解し考えるべき。それをみんなに伝えてほしい。

2021.4.7 内藤廣建築設計事務所にて

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